第9回
ひきこもりのためのビジネスマナー講座

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

 半年ほどイタリアに里帰りしていました。日本を留守にしている間に、なにやら当講座の受講生が急激に増えたようです。喜ばしい限りですね。あとは、どこかの物好きなお金持ち(またはそのバカ息子・娘)がこの講座のスポンサーになってくれれば、私も研究に専念できますし、日本の景気も回復軌道に乗るはずです第5回の講義参照

 さて、受講生のみなさんの中には、就職活動を控えた大学生もいらっしゃるのではないでしょうか。それに、全国で100万人以上と推計されるひきこもりのみなさんの中にも、できれば就職して社会に出たいものだと願っているかたが少なくないはずです。でも、そもそも社会との折り合いが悪いからひきこもっているわけで、そのあたりの葛藤で悩んでいるのでしょう。

 そこで今回は、これから社会に出て羽ばたこうとしているかたがた(と社会に出たものの羽ばたき損ねて失速している人)のために、ビジネスマナーとコミュニケーションをテーマに選んでみました。当講座が少しでも社会に溶け込むための手助けとなれば幸いです。


●メラビアンの法則という都市伝説

 近年、日本各地で開催されている大学生のための就職セミナーや、ビジネスマナー・コミュニケーションの研修で、必ずといっていいほど言及されているのが、「メラビアンの法則」です。研修屋の講師のみなさんは、研修の冒頭で、この法則を得意げに解説してくれます。

 みなさんは、メラビアンの法則というのをご存じですか。これは心理学者のメラビアン博士が発見した法則です。話し手と聞き手のコミュニケーションにおいて、話し手が聞き手に与える影響がどのような要素で形成されるかを測定したところ、
 見た目・身だしなみ・しぐさ・表情などが55%
 声の質(高低)・大きさ・テンポなどが38%
 話す言葉の内容が7%
 であることがわかりました。つまり、コミュニケーションにおいては、話の内容は7%しか伝わっていないのです。言葉だけのコミュニケーションがいかに難しいものであるか、それをこの法則が教えてくれます。ですから、面接や営業活動においては、ボディーランゲージや話しかたなどのマナーに気を配ることが、とても大切になってきます。

 なるほど、と真剣にうなずく研修参加者に対し、引き続き「相手に好まれる笑顔の作りかた」「信用を得るための話しかた」などの講習が行われます。

 それにしても困りましたね。あなたの真意は、7%しか相手に伝わらないのです。やはり人間同士が理解し合うことなどできないのです。絶望です。社会人になどならずに、ひきこもっているか、就職活動から大学院進学に切り替えたほうが……

 でもこのメラビアンの法則とやら、なにかうさんくさいものを感じませんか。そこで、誰にでもできる簡単な実験をしてみましょう。「今度の日曜日、朝8時半にJR東京駅八重洲南口に集合。」これを初対面の外国人に伝えてみましょう。なお、この外国人は昨日アフリカから来日したばかりで、スワヒリ語しか話せませんし、あなたは日本語しか話せないものとします。メラビアンの法則に従えば、言葉が通じなくても、しぐさ・表情・声質・身だしなみで伝えたいことの93%を印象づけることができるはずです。

 次に、伝えたい内容をスワヒリ語に翻訳したものを身振り手振りなし、無表情のまま読み上げてみましょう。メラビアンの法則に従えは、この方法だと話の内容は7%しか相手の印象に残らないはずです。

 さて、来週の日曜日に東京駅に来てもらえそうなのは、どちらの方法でしょう。

 じつは、メラビアンの法則なるものは、存在しないのです。ためしに書店や図書館で心理学事典をひもといてみてください。メラビアンの法則など、影も形もありません。メラビアン博士は実在の人物ですが、現在の心理学界では、あまり重鎮とはみなされていないようです。

 実際にメラビアン博士が行った実験とは、こういうものです。「たぶん(Maybe)」の一語を、さまざまな声質で録音し、それを被験者に聞かせてどのような印象を受けたかを調べる。また、さまざまな表情の顔写真を見せながら、「たぶん」の録音を聞かせる。これだけです。のちに、もう少し語彙のバリエーションを増やした追試を行い、その結果から例の55・38・7%の数字がはじき出されたのです。

 メラビアン博士が行ったのは、表情と声の実験だけでした。身振り手振りや身だしなみといった要素は研修屋が勝手にくっつけたのです。そもそも、この実験は、言葉の内容と表情(もしくは声質)が矛盾している場合、聞き手は言葉と表情のどちらに重きを置くだろうかということを検証するためのものでしかなかったのです。いずれにせよ、2、3語からなるごく短い文章での実験であり、しかも被験者同士が顔を合わせてすらいないのですから、これをコミュニケーションと主張するのは無理があります。

 アメリカのAT&T研究所のリチャード・スプロートさんは、この法則を都市伝説(口コミで広まった、原典が不明確なお話)のひとつだと断じていますし、メラビアン博士本人もあるインタビューにおいて、「この実験結果を日常のコミュニケーションに適用することはできない」と認めています。誤解を招くような研究結果を著作に載せたメラビアン博士の罪もさることながら、その著作(『非言語コミュニケーション』邦訳あり)を読みもしないで、小耳に挟んだだけのエピソードを、さも真実であるかのように教える研修屋の姿勢には呆れます。ビジネスの世界では、人にウソを教えることはマナー違反ではないとでもいいたいのでしょうか。


●新入社員、今昔

 世のおじさんおばさんたちや会社のお偉いさんたちは、口々にこういいます。「近頃の若者はろくにあいさつもできないし、社会人としてのマナーがまったく身についていない」。新聞を開けば、若者のマナー意識の低下を指摘する投書が頻繁に掲載されています。いやホント、私も同感です、社長。まったく近頃の若者たちの傍若無人ぶりときたらもう。社長が新人だった頃といいますと、1960年くらいですか。あのころはまだ日本の若者もオトナでしたよねえ。上司や先輩に敬意を払い、協調性に富み、仕事第一、遊びは二の次でしたね、そうでしょ? 社長。

 「ビジネスマナー」や「テーブルマナー」は日本的ないい回しで、英語では必ず複数形になります。「ビジネスマナーズ」「テーブルマナーズ」ですね。英語のテストでは”ズ”がないとバツになりますのでご注意を。もっとも、英米では「ビジネスマナーズ」とはあまりいいません。「ビジネスエチケット」などのほうが自然なようです。

 ビジネスマナーという言葉が日本で書名に使われたのは、1970年刊行の『新入社員のビジネスマナー』が最初です。しかしこういった内容の本は1960年頃から出版されていました。

 その中でも初期の一冊、1959年の『新入社員への覚え書』の一節です。

 [朝の出勤時に]先輩に会ってもプイと横を向いて通ったらよい感じは与えないでしょうし……こんな子供に教えるような話をして申しわけないのですが、こんなチョットしたことから、しつけは始まっているのです。

 お茶を飲もうよ、映画を見ようよ、などと友人から誘われても一切行動をともにしない人が一部分にはいるものです。

 [上司のぼやき]『なにしろいまの若い人たちは、映画だ、音楽だ、カメラだ、8ミリだ、ゴルフだ、とまったくわれわれの独身時代には考えも及ばなかったものをぶらさげているからね。……結婚資金もできないのは当然だよ』

 あれ? 社長、話が違いますが……。あいさつをしない、仲間との協調性がない、物欲に浪費グセ。40年前の若者も、いまの若者とほとんど変わらずいいかげんでした。私が提唱した「人間いいかげん史観第7回の講義参照」がさらに裏づけられる結果となりました。

 もうひとつ興味深い事例があります。ご存じだとは思いますが、日本語の表記は戦後(昭和21年)、旧かなから新かな遣いへと改められました。この社長さんの年代ですと、完全に新かなで教育を受けています。ところが、当時のお偉いさんは新かなで読み書きができません。そこで新人に『新かなってのはどうもピッタリ来ないネ』などとイヤミをいいます。もっとひどいのになると、新かなで書かれたビジネスレターを読み、『君の会社の社員はロクに文字も書けないのか』と怒り出す始末。

 これって、どこかで聞いたような気がしませんか。ワープロが普及し始めた頃から、上司が苦虫を噛みつぶしたような表情でこういい出しました。『どうもワープロってのは、手書きと違って誠意が伝わらないネ』。ここ数年、ビジネスでもeメールでのやりとりが盛んになると、『eメールなんかで気持ちが伝わると思ったら大間違いだ。メラビアンの法則ってのを知ってるか。文字だけのeメールでは、いいたいことの7%しか相手に伝わらないんだぞ』。

 時代が移っても、人間は変わりません。新かな・ワープロ・eメール。おじさんたちは、自分が使いこなせない新技術には、こころがない、と難癖をつけて否定するものなのです。


●現代に生きる忍者の知恵

 それではここらで少し、ビジネスマナーの華麗なる世界を覗いてみましょう。ビジネスマナーにもお国柄が出ます。まずはアメリカ。メアリー・ミッチェルさんは、ビジネスマンの身だしなみについて指導しています。

 ペーズリーのプリント[のネクタイ]は、高級で豊かなムードを伝える。
 わに革のベルトは、動物保護の観点からはよくないにしても、常に上品である。
 銀や金のフレームよりも、べっ甲の眼鏡のほうが実用的だ。

 さすが、京都議定書を無視し、いまや世界一の環境破壊国家となったアメリカの面目躍如といったところでしょう。希少動物の保護よりもビジネスマンの身だしなみが優先です。ペーズリー柄のネクタイも日本では絶滅に瀕しています。就職課よりお知らせ――外資系企業に就職を希望する学生諸君は、すみやかにペーズリーのネクタイとワニ革のベルトを生協で購入して面接に臨むこと。

 さて、概して西洋では騎士道精神が尊ばれますが、日本ではやはり武士道、サムライのこころでしょう。会社にいらしたお客様をご案内する際の作法にそれが現れます。通常、案内する者がお客様を先導するのですが、階段だけは別です。下りはお客様の前でいいのですが、上るときはお客様を先に行かせ、自分は後からついていきます。その理由。

 もしお客様が足を滑らせた場合、お客様より下の位置にいるので支えることができる。

 あっぱれです。日頃から鍛錬を怠らないサムライであるからこそ、突然の事故にも機敏な対応が可能なのです。日本のビジネスマンはサムライです。そしてさらに、廊下をご案内する際は、お客様の左斜め前を歩くこととされています。その理由。

 お客様の心臓を保護する意味合いから。

 曲者! おぬし伊賀者かっ! そうです。社内といえど、いつ刺客が襲ってこないともかぎりません。ニンジャの投げる手裏剣がお客様の大切な心の臓に突き刺さらないよう、身を挺してお守りするのが日本式のビジネスマナーの基本です。日本の経営者がおしなべて歴史小説・時代小説おたくであり、社員にサムライ魂を説くのは、危機管理に対する配慮からなのです。


●マナーからルールへ?

 話が脱線してしまいました。そろそろまとめの時間です。マナーとルールの違いはどこにあるのでしょう。

 マナーには罰則がありません。あくまでも個人が自発的に守るものです。ルールは、破るとなんらかのペナルティーが課せられるのが普通です。ルールは強制されて仕方なく従うものです。

 マナーは社会全体で形作るものです。ですから、だいたいどこへ行っても通用します。ですが、ルールは局地的な決めごとです。会社のルールは役員会などで決めるものとされていますが、役員は社長に逆らえませんから、事実上、社長個人の独断によります。

 フランスのレビ・ミールポワ公爵はこう定義します。礼節の基本は社会に生活したいと望む人間すべてが、おのれの天性に課さねばならない規則であり、大切なのは互譲の精神である、と。つまり、すべての人が(社長も平社員も)お互いのことを考え、ある妥協点に歩み寄るしくみが、マナーなのです。

 ここ数年というもの、日本人はマナーの精神を忘れ、ルールに頼るような風潮に染まっています。

 たとえば、あいさつをマナーでなくルールとして強要している会社があります。その会社では、ドアのところに挨拶板という青い丸いプレートが置いてあり、社員は出社・退社時にはその上に乗ってあいさつをしなければいけないのだそうです。そこの営業マンはきっと外回りの際、青い丸い板を持ち歩くのでしょう。「あ、部長、挨拶板忘れました」「う〜む弱ったな。どうやってあいさつしようか? 社長に電話して聞いてみろ」「部長、電話するときは、何色の板に乗るんですか?」

 このように、ルールで行動を縛るのは簡単ですが、長い目で見れば融通のきかない幼稚な人間が増えるだけなのです。でも、どうやら日本人は「お互いさま」のこころを失い、ルールに頼るようになってきたようです。下の写真は、東京都千代田区で施行された条例を告知する看板です。マナーからルールへ。ビジネスマナー講座も、いずれ姿を消す運命かもしれません。

反社会学はフィールドワークをしていないという批判があったので、街に出て写真を撮ってきました

今回のまとめ

  • メラビアンの法則は都市伝説です。
  • 研修屋が教えることの55%はウソで、38%はハッタリで、真実は7%だけです(マッツァリーノの法則)。
  • 若者はいつの時代も失礼でいいかげんです。
  • おじさんはいつの時代も自分が使いこなせない新しいものを否定します。
  • お客様の心臓を保護しましょう。
  • 社会に出ると面倒くさいルールが多いので、ひきこもっていましょう。

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