第7回
続・日本人は勤勉ではない
〜本当に新しい歴史教科書・PART2〜

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●甘ちゃんだった明治っ子

 江戸時代まで、日本人はさほど勤勉ではなかったというのが、前回の結論でした。これは歴史的事実ですので、異を唱える余地は、まったくありません。日本人は昔から勤勉な民族だった、とする過去の歴史認識こそが、捏造された史観だったのです。

 人間らしく、身の丈を知って、平和に暮らしていた日本人が、いったいいつ、どのようにして変貌していったのか。今回は、その歩みを明治から高度成長期まで追っていきたいと思います。

 明治の詩人、萩原朔太郎の『孤独者の手記から』には、こうあります。

労働の讃美は、近代に於ける最も悪しき趣味の一つである。

 江戸時代にはほとんど見られなかった労働の讃美が、明治時代に始まっていたことを示す一例です。ご存じの通り、明治政府は富国強兵政策を打ち出し、国の発展を最優先事項にしました。基本的には、工場で製品をどんどん生産し、輸出して儲けるという仕組みです。当時は、内需拡大しろ〜などと余計な口出しをしてくる外国人がいなかったので、好きなだけ邁進できたのです。

 しかしこのためには、当然のことながら低賃金の労働力が多量に必要とされます。ここにおいて、江戸的な個人の自由裁量に任せた労働形態が、終止符を打つのです。江戸時代までは有効だった、今日は暑いから休みにしよう、なんて考え方をみんながしていたのでは、生産性ががた落ちしてしまいます。

 アメリカの白人は、この問題を解決するために、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残念ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり、教育です。こどもの頃から、勤勉さこそが美徳であると、叩きこむようになったのです。

 これはわりと簡単なことでした。すでに日本人には、金に執着しないのが美徳だ、との考えが浸透していました。なにしろ「宵越しの金は持たねえ」が江戸っ子の心意気だったのですから。あとは、労働の素晴らしささえ刷りこめば、低賃金重労働を尊ぶ理想的単純労働者の出来上がりです。

 もともとが素直な日本の民衆は、すっかりのせられてしまいました。ところが、はた、と気づくのです。おや? 江戸時代よりいっぱい働いて収入も増えたのに、なぜ前より生活が苦しくなったんだ?

はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る

 萩原朔太郎と同時代の歌人、石川啄木の歌です。江戸時代には、こんな内容の詩や歌はほとんどなかったはずです。富国強兵政策は、文字通り国だけが富んで国民にはなにも恩恵をもたらさなかったのです。

 ただし、ここで念のためいっておかねばならないことがあります。石川啄木はずいぶん悲愴感漂うことをいっとりますが、彼自身が貧乏だった理由は、芸者遊びが大好きだったせいなのです。啄木は友人から借金してまで、芸者遊びのどんちゃん騒ぎに明け暮れていたとのことで、いいかげん野郎の代表選手みたいな男です。同情や尊敬は不要です。むしろ、日本ダメ男列伝に列せられるべき人物なのです。

 貧者がいれば富者もいるのが、世の道理。なにしろそれまでが鎖国していて経済発展なし、ゼロ成長だったのですから、明治には爆発的な経済発展がありました。成金が登場します。日清・日露戦争を経て、さらに金持ちは太ります。第一次大戦では、日本は軍需景気に沸きかえったのです。

 ついでにいうと、戦争を始めた理由を、正義や大義に結びつけて語られることがままあるのですが、すべてでたらめです。戦争を始める理由はたったひとつ、金です。金持ちケンカせず、というのは事実無根で、戦争は常に金持ちの莫大な利益を守るために行われるのです。そもそも戦争には巨額の資本金が必要なのですから、貧乏人が戦争なんかできるわけがないのです。

 そんなわけで、明治時代は金持ちにとっては素晴らしい時代でした。その時代に生きた彼らは現在、日本の最高齢者層になっています。俵孝太郎さんは、その老人たちに対し、かなりきびしい指摘をしています。いわく、明治の末に生まれた彼らは、1920年代の青春期に第一次大戦後バブルを謳歌した、元祖新人類である、と。当時、明治生まれは「明治っ子」といわれ、苦労知らずの甘ちゃん扱いされていたのだそうです。しかもいま、自分たちはろくに納めもしなかった年金を、たっぷり受け取っているし、老人医療など、至れり尽くせりの福祉を享受してる虫のいい人たちとのことです。


●イヤな仕事はすぐやめた若者たち

 時代は跳んで戦後の高度成長期。高度成長期とは、第二次大戦後から昭和47年までのことです。47年で終わったのは、翌年のオイルショックが原因です。それまでずっと続いていた経済発展が、戦後初めてマイナスに転じました。

 おじさんたちが「昔はよかった」という場合、それは高度成長期を指します。年功序列が原則なので、能力主義とは無縁です。めざましい活躍をしても、二階級特進したりはしません。それでも基本的に終身雇用ですから、普通に適度に働いていれば、上司にハッパをかけられたりはしましたが、クビになることはないし、給料だって毎年上がります。多くのいいかげんな人たちにとっては、夢のような時代だったのです。

 しかし、その陰には暗い事実もありました。当講座の第2回で明らかにしたように、現在の6倍もの少年凶悪犯罪が起こっていました。実際、当時の新聞を読むと、社会不安を憂う内容の記事の多さに驚かされます。でも、カネの力とは恐ろしいものです。景気が良ければ、だれも文句はいいません。所得倍増は、社会不安の口止め料だったのです。

 日本人は勤勉なので、戦後の焼け野原から驚異的な回復と発展を遂げたのだ――これは、「昔はよかった名言シリーズ」の中でも、最も好まれるもののひとつです。でもはたして、本当に高度成長期の日本人は真面目で勤勉だったのでしょうか。

 ここに、『証言・高度成長期の日本』という資料があります。これは、当時の状況を冷静に振り返った証言がつづられている、貴重な資料です。日本人は昔から何ひとつ変わっていない、進歩も改革もないことがはっきりします。

 たとえば、昭和30年代、すでに学力低下の兆しが見えていたこともわかります。工業大学が、物理・化学を履修していない受験生が多くて困ると高校側に訴えているのです。日本の学校教育は、以来ずっとちぐはぐなままで現在に至ったようです。

 そんなことより、勤勉さの検証です。加藤日出男さんはこう語ります。昭和40年代には店員や職人の給料がもの凄い勢いであがりました。そのため、苦労してつまんない職場にいるのはバカらしい、といって、イヤな職場はすぐにやめる人が多かったのです。

 また、こんな話もあります。農家の息子が家を継ぐのをいやがります。父親は「ばかやろう、農家をやらないのか」と叱りますが、息子は都会へ出ていきました。数年後、息子が帰郷すると、父親は農業をやめて、ドライブインのオーナーになっていました。

 勤勉の象徴であるはずの農家でさえ、土地を売ってガソリンスタンドやレストラン経営に鞍替えする例が少なくなかったのです。

 イヤな仕事はすぐやめて、楽そうな仕事、おもしろそうな仕事に就く。これは、いまに始まったことではないのです。捏造民族観に洗脳された方は、この事実を不愉快に受け取ることでしょう。しかし、私の提唱する「人間いいかげん史観」に則れば、当然のこととして理解できるのです。イヤなことをやめるというのは、人間の本性です。自然な姿です。そこには自然淘汰の力がはたらいているのです。

 たとえば、カリスマ美容師を志す若者は大勢いますが、その大半は途中でイヤになってやめてしまいます。それをとやかくいっても始まりません。仮にもし全員やめずに残ってしまったら、日本中美容師だらけになってしまい、人口1人当たり1.5人の美容師がいるなんて事態にもなりかねません。これはこれで困った世の中です。


●日本人は高度成長期に魂を売った

 高度成長は本当に日本人の実力によるものだったのでしょうか。昭和25、6年には朝鮮戦争による特需がありました。31年にはスエズ戦争。40年頃はベトナム戦争。桜田武さんの談――「他人の不幸によるもうけですな。決してほめたことじゃないですよ」

 さらに桜田さんは分析します。1・戦争特需。2・石油が安かった。3・軍事費がただだった。この3つが重なって、高度成長を支えたのです。なんてことはない、日本はむちゃくちゃ運がよかっただけなのです。下駄を履いた状態でスタートできたのですから。

 高度成長期ファンクラブのみなさんからの反論。「運がよかったのは事実だ。だが、勤勉さと実力があったからこそ、運をつかんで活かすことが可能だったのだ」

 そうでしょうか。現在、日本中で鉄筋コンクリート建築が崩壊の兆しを見せています。小林一輔さんの『コンクリートが危ない』によれば、そういった手抜き工事のほとんどが、東京オリンピック(昭和39年)以降の高度成長期に作られたものだとのことです。材料をケチり、工期を短縮し、ただひたすら純利益をあげることにのみ邁進する。これが高度成長期の「勤勉」の正体だったのです。どんなインチキ仕事でも、やっつけ仕事でも、数さえこなして金が儲かりゃいいんだ。会社は慈善事業じゃねえんだよ――

 高度成長期とは、職人気質がカネの力に負けた悲しい時代でもあったのです。


●人間いいかげん史観

 私は、基本的に人間というのは、いいかげんで適当で間抜けな存在だと考えています。だからこそ人間という生き物はおもしろいのです。近頃の小説やテレビドラマには、前向きにがんばる真面目人間ばかりが出てきて、必ず努力が報われる結末になります。そんなものを見て、なにがおもしろいのか、私にはさっぱりわかりません。むしろ、それこそ石川啄木のように、めざましい業績も残すけど、じつは二枚舌でいいかげんなやつみたいな、そういう変わったキャラクターが出てくるのが、フィクションのおもしろさ、豊かさなのですが。道徳的な型にはまったキャラクターにしか感情移入できないのは、現代人の感性がにぶってきている証拠です。

 「人間いいかげん史観」によって歴史を見ないから、多くの歴史家や有識者が歴史認識を誤り、互いの解釈をめぐってギクシャクするのです。「新しい歴史教科書」問題もそうです。擁護派、反対派、両者ともに頭が偏見で凝り固まっています。彼らは、昔の日本人を偉人か犯罪者のいずれかに決めつけようとして争っているのですが、なんともバカげた論争です。どちらでもありません。昔も今も人間は等しくいいかげんなのです。

 というわけで、前回と今回の講義は、「人間いいかげん史観」に基づいて歴史を見てみようという、いままでにない試みでした。日本人はもともと勤勉な民族なんかではなかったのです。そして現在もそうですし、未来永劫変わらないと思います。明治以降に捏造された日本人像にとらわれ、余計なプレッシャーにさらされ続けることで、日本人の生き方はゆがんでしまったのです。

 ここいらで認めたらいかがですか。日本人はいいかげんな民族なのだ、と。そして、そこからまた始めるべきです。がむしゃらに働き、敵を食い尽くすという欧米の白人エリートのようなやり方は、日本人の体質にはマッチしないのです。だって、休暇もそうじゃないですか。白人は何週間もまとめてガッととりますが、日本人はそのやり方に馴染めません。週休3日くらいのペースで、適度にちびちび働き続けるのが、日本人の性格に合っているのです。

 昔はよかった。たしかにそうです。西洋文明のサルまねを始める以前の日本人の生き方は、本当に素晴らしかったのです。


今回のまとめ

  • 明治時代に、日本人は勤勉と奴隷労働の区別がつかなくなりました。
  • 明治生まれの人と現代の若者は、苦労知らずの甘ちゃんという点で似たもの同士です。
  • 高度成長期の若者も現代の若者も、イヤな仕事をすぐやめる点では共通です。
  • 高度成長はたまたまラッキーだったのです。
  • 高度成長期に、日本人は職人気質を失いました。
  • 人間はいいかげんです。
  • 昔はよかった。

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