第6回
日本人は勤勉ではない
〜本当に新しい歴史教科書・PART1〜

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●頑張りスパイラルの恐怖

 世の中には、ときどき、おかしなことをいう人がいます。「おまえだろ」という意見は脇に置いときまして。で、おかしなことをいう人がなぜおかしいのかと申しますと、自分がおかしいことに気づいていないのです。当人は百パーセントの正論を述べてると思いこんでるものだから、おかしなことをいう人は、おしなべてエラそうな顔しておかしなことをいい張ります。

 先日も、こういう意見をおっしゃる方がいました。

「この不況をなんとかしようとみんなが頑張ってるというのに、ホームレスが昼間っから寝ていたりするのを目にすると、腹が立ちます」

 じつは、みんなが頑張ってるから、不況が深刻化しているのです。それをこの方はおわかりでない。いえ、この方ばかりではないでしょう。いまこの文章を読んで、そんなバカな、と思われた、善良にして勤勉な方たちも少なくないのでは?

 タクシー業界を例にとりましょう。景気の良し悪しを敏感に感じ取るのがタクシーの運転手とのことで、彼らの意見が景気判断の指標にもなっているくらいです。このタクシー業界がいま、空前の不景気に苦しんでいるのです。

 なぜ、そうなったか。景気が落ちこむとタクシーの利用者が減ります。すると、一台当たりの売り上げが減ります。タクシー会社は売り上げの減少をカバーするために、タクシーの台数を増やします。すると、ただでさえ少ない客を、多くなったタクシー同志が奪い合うことになります。結果として、ますます一台当たりの売り上げは落ちこみます。あとはこの繰り返し。

 もうひとつの例。東南アジアでは、ゴムの木を栽培して天然ゴムを採取しています。ところが天然ゴムは現在、世界的に供給過剰でありまして、値段がどんどん下がっています。すると労働者はそのぶんを数でこなそうと、毎日一人で1000本のゴムの木に傷をつけ樹液を集めるという、重労働をするのです。これまた、結果的には供給過剰に拍車をかけてしまうのです。

 これが、みんなが頑張れば頑張るほど、不況が深刻化する仕組みなのです。私はこれを「頑張りスパイラル」と呼んでいます。この原理は、多くの製造業や販売業で当てはまります。単価の落ちこみを増産でカバーしようとすると、こういう悪循環におちいるのです。

 つまり、みんなが目一杯に頑張ってしまうと、全員共倒れになる危険性があります。だれかが脱落してホームレスになってくれたおかげで、残った人が食いつなげるわけでして、勝ち組の人は、負け組の人に感謝しなければいけない立場にあるわけです。それなのに、なんですか。いうにこと欠いて、ホームレスが昼間っから怠けている? まったく、近頃は自分勝手な日本人が増えたもんだ。(エラそうな顔で)


●「働かざる者、食うべからず」の起源

 国や都道府県、市町村などには、ホームレスを援助したり、貧しい人に生活保護を受けさせたりする義務があります。これは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と憲法に定められたことを実行しているのです。

 ところが、これを不服に思っている人がいるのです。「怠け者を税金で助ける必要はない。そんな連中がくたばったところで、自業自得だ。働かざる者、食うべからずというではないか」と。

 働かざる者、食うべからず。よく耳にする言葉です。なんだか、どえらい昔からある金言・格言のひとつと思われがちですが、じつは日本人がこんなことをいい始めたのは、明治以降のことなのです。少なくとも、江戸時代以前にこんなことを口にした日本人はいません。なぜなら、江戸時代にこれを口にしたら、お上に引っ立てられていたでしょうから。

 なぜかといえば、この言葉、聖書の中の一節だからなのです。もし、江戸時代に「働かざる者、食うべからずだ」などと口走ったものなら、「きさま、隠れキリシタンだな! 引っ立てい、改宗せねば、打ち首獄門じゃ!」というハメになったはずなのです。

 新約聖書の「テサロニケ人への手紙」の中で、パウロが宛てた手紙に登場するのが、「働かざる者、食うべからず」の言葉です。文献中に見られるうちでは、これが最も古いようです。このパウロさん、キリストの孫弟子くらいにあたる人で、やたら手紙ばっかり書いてた筆まめな人です。ただし、この言葉のコピーライトがパウロにあるかといいますと、それは疑問です。当時そのへんで使われていた言葉を、自分の手紙に引用した、と考えるのが自然です。(ちなみに、聖書で「なになに人」というのが出てきたら、「なになにびと」と読んでください。「なになにじん」ではありません。)

 日本では明治以降に、西洋文化とキリスト教にかぶれた人たちが「働かざる者……」といい出したのです。


●そして怠惰は罪になった

 宗教というものはすべてそうなのですが、教祖が死ぬと、弟子たちの中で権力を握った物が都合のいいように宗旨を変えていきます。キリスト教も例外ではありません。独断と偏見をどんどん拡大させていき、人間を救うどころか、人間を差別化し、おとしめることばかりに熱心になります。

 12世紀ごろ、ヨーロッパのある教会が作成した「卑しい職業ブラックリスト」を見てみましょう。宿屋、肉屋、吟遊詩人、内科医、外科医、兵士、売春婦、商人、職工、菓子屋、庭師、税関吏……。簡単にいいましょう。要するに、聖職者と農民以外は全部、怠惰で傲慢で卑しい職業とされたのです。なんとも自分勝手な物の見方です。働かざる者どころか、働いてても蔑まれるのですから、どうしたらいいのやら。でも、われわれ現代人がこれを笑えるでしょうか。自分以外の人間はみんなラクしてる、とたいした根拠もなく憤慨してる人は、けっこういますよ。

 今村仁司さんの著書によれば、西欧で怠惰や乞食が法で罰せられるようになったのは、13世紀以降のことだそうです。14世紀、ルネサンス期になると、アルベルティーなる人物が「時は金なり」というキャッチコピーを考え出します。神の所有物であった時間を、人間が労働のために売り買いするようになったのです。労働者が時間で管理されるようになりました。ルネサンスというのは、人間性の尊重、個性の解放などを目指した文化の革新運動だったはずです。でも、尊重・解放されたのは金持ちだけで、貧乏人は皮肉なことに、一層キビシク管理されるようになったのです。


●江戸時代、日本人はフリーターだった

 さて、舞台を日本に戻しましょう。フリーターという言葉が流行、定着したのは、1987年ごろのことでした。それまではアルバイターなどと呼ばれていたようです。それより、日本では、おばちゃんのアルバイトだけをパートといって区別する習慣があるのですが、これはなんとも不思議です。英語だと全部パートタイムですね。この辺には、なにか民族学的な理由が隠されているのかもしれませんが、それは専門家の研究を待ちましょう。どんなささいなことにも噛みついてくるフェミニズムの人たちが、これを女性差別だと騒がないのも、また謎のひとつです。

 言葉そのものが比較的新しいため、そういう人種も最近登場したものと思われがちです。新しいものは、常に叩かれる運命にあります。運命といえばベートーベンですが、彼の音楽も当時は、やかましいだけのクズ音楽、と酷評されていたのです。まるでジャズやロックが誕生した頃のように。

 新しいものを疎んじる守旧派のみなさんに、残念なお知らせがあります。フリーターは江戸時代から存在した、由緒正しい生き方なのです。

 杉浦日向子さんの『一日江戸人』によれば、江戸時代、生粋の江戸っ子の中には定職に就かない人間がずいぶんいたということです。結婚して子供がいる男でさえ、食う物がなくなるとひょこっと町に出ていって薪割りなどをやって日銭を稼いでいました。まさに食うために必要なだけ働くという生き方ですね。

 そういってもまだ信じない人がいると困るので、この話の裏を取るために、別の資料も参照しましょう。江戸時代には人別帳といって、いまでいう住民票みたいなものが作られていました。南和男さんの『幕末江戸社会の研究』に、様々な例がわかりやすく解説されていますので、それを使います。

 慶應元年(1865年)、麹町12丁目。143人の戸主(世帯主)のうち、38人が日雇い仕事で暮らしていました。約26%です。同年、四谷伝馬町新一丁目では96人中13人で14%。こちらは住民に武士が多い土地柄なので、数字が低くなっています。慶應3年、宮益町では172人中69人で40%にものぼります。さすがに現代の日本で、世帯主の4割がフリーターという話は聞きません。江戸の世では、結婚してもフリーターでいるのがおかしくなかったのです。

 そもそもこういう生き方が可能だったのは、江戸時代の職業が非常に細分化されていたせいなのです。先ほどの資料の中から、日雇い仕事だったものの内訳をあげてみましょう。時の物商売、按摩、車力稼、日雇稼、鳶日雇、棒手振、賃仕事、などです。時の物商売というのは、季節ごとの商品をかついで町中を売り歩く商売です。朝、親方のところに出掛けていって、物売りをやりたいんですけど、といえば、まったくの未経験者でも道具一式を貸してもらえ、すぐに始めれられるというものです。そうとうにいいかげんな商売です。時代劇によく登場する駕籠かきも、日雇い仕事のひとつだったのです。

 当時、世界的にも非常に人口の多かった江戸という都市では、仕事を細分化することでワークシェアリングが実現されていたのです。そしてアルバイトが職業、生き方のひとつとして認められていました。現代のオランダが導入して成功し、オランダモデルと呼ばれるようになった雇用対策が、江戸の町ですでに行われていたのです。日本は雇用形態の先進国だったのです。日本人はこの歴史的事実を世界に誇るべきです。

 ついでに、大工や商人のような、長年の修行が必要な職業についても触れておきましょう。江戸時代の職業観、労働観は、現代とはかなり異なっていました。大工にしても、毎日真面目に働くということはあまりなかったらしく、みんな自分の懐具合に応じて仕事に行ったり休んだり、適当にやっていたのです。大工は雨の日は仕事にならないというのはいまも同じですが、江戸の大工はもっとわがままです。夏場は暑いといっちゃ休み、冬場も今日は寒いからやめたとか、悪くいえば怠け者ですが、良くいえば人間らしい生き方であります。こういう偉大な先祖を持つ日本人は、やはり素晴らしい民族です。

 いまでいう大手商社のサラリーマンが、大店の奉公人です。でも当時は終身雇用制度はなく、一生勤めあげるのは番頭とかほんの一握りの出世頭だけでした。その他大勢はどうしたかといいますと、ある程度仕事をおぼえると独立したのです。家族を養っていけるだけの稼ぎをあげられる小商いをやっていければ、十分だったのです。滅私奉公などという非生産的な労働形態は存在しなかったのです。会社に奉仕することしか能のない現代のサラリーマンのみなさん、昔の人に向上心と独立心を学びましょう。江戸時代はベンチャー起業家精神にあふれていました。これまた、現代のビジネスモデルを先取りしています。日本人に生まれたことが誇らしく思えてきますね。


●事実はひとつ、解釈は無数

 江戸時代の町人たちは、経済発展などとは無縁でも、適当に楽しく暮らしていたのです。日本人がもともと勤勉な民族だったというのがウソッパチであると、納得していただけたことと思います。古くは、平城京建設に駆り出されたものの仕事がつらくて逃げ出した人たちがいました。それがあまりにも多かったので、取り締まる専門の役所が必要だったくらいです。当時の大人たちも、「近頃の若いやつらは、仕事がつらいからって、すぐにやめやがる」となげいていたのです。

 しかし今回私は、資料を見つけるのにけっこう苦労しました。それは私が日本史の専門家でないせいもあります。でもそれにしても、です。職人や商人の生き方や長屋の暮らしぶりなど、真面目な町人の生活についてかかれた資料は山ほどあるのです。反対に、最下層の貧民や犯罪者に関しての本にも事欠きません。問題は、その中間です。違法とまではいかないけれど、不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が少なくなかったにもかかわらず、そのことに触れている資料はごくわずかしかないのです。

 その理由は明らかです。江戸時代に関する資料や本を執筆した人たちが、日本人勤勉神話に洗脳された現代人だからです。しかもそのほとんどは中高年なのです。彼らはこどもの頃から日本人勤勉神話を教えこまれ、それを美徳として育ってきました。ですから、自分の常識からはみだしたものは、見たくもないし、調べもしないし、書きもしません。職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、その日暮らしを謳歌していたという事実は、労働美意識に反するので無視します。歴史的事実はたったひとつですが、歴史の解釈は、のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。

 というところで、今回はここまで。この続きは次回。


今回のまとめ

  • 頑張れば頑張るほど、不況は悪化します。
  • 「働かざる者、食うべからず」は、明治以降に日本に輸入された言葉です。
  • 怠惰を罪にしたのはキリスト教と西欧の金持ちです。
  • 江戸時代、江戸の町人の3割はフリーターとして気ままに生きていました。
  • 日本人は自らの歴史と祖先をもっと誇るべきです。

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