第10回
ふれあい大国ニッポン
〜PART1・データで読むふれあい〜

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●スナックふれあいの旅

 ぶらり一人旅をして日本各地を訪ねているときに、ふと、人恋しく、ふれあいたくなったら、あなたならどうしますか。私は、「スナックふれあい」の看板に惹かれ、立ち寄ってみました。扉を開けた瞬間、地元の常連客たちの「だれだ、おまえ?」と問いたげな冷たい視線が突き刺さります。でも、それにめげてはいけません。酒を酌み交わし世間話をしつつ、ときにママさんとのデュエットなども愉しみつつ、地元の人々と交流を深めることこそが、ふれあいなのです。それにしても、なぜスナックのママさんは、みんなしゃがれ声なのでしょうか。

 さて、下の図をご覧ください。

スナックふれあい

 電話帳で調べたところ、「ふれあい」という名のスナックは、驚くことに、ほぼ全県に存在します。電話番号を公開していないような閉鎖的な「スナックふれあい」は「ふれあい」を名乗る資格がありませんから、無視します。なお、このデータには「ふれ愛」「ふれ逢い」「歩礼愛」「不礼愛」「触愛」も含まれます。来る夢来る人と書いてライムライトと読ませるような、スナックのお約束です。

 全般的に都市部の人たちのほうが、より、ふれあいを求めていることが、この図から読みとれます。日本中どこを旅してもスナックでふれあえるとわかり一安心ですが、残念ながら奈良県と香川県だけが空白地帯となっております。もし、この両県にスナックふれあいがあるとの情報をお持ちのかた、もしくは開店の予定があるならば、ご一報をお願いします。


●全国ふれあいマップ

 スナックだけではありません。いま、日本全土に、ふれあいと名のつく施設がひしめきあっています。秋田県には「秋田ふれあい信用金庫」が20店舗あります。「ふれあい薬局」などの看板もちょくちょく目にします。

 しかし、私が問題にするのは民間商業施設ではありません。スナックの例を冒頭に掲げたのは、どうでもいいデータでも、カラフルな図表にすると見た目におもしろく意味ありげに見えるという、プレゼンテーションのテクニックを紹介したまでです。こういったテクニックは、バブル期に、まったく採算を度外視した豪華なリゾート施設建設計画を地方公共団体に売り込むために、建設業者によって確立されたといわれています。これが功を奏し、年間を通じて客よりも従業員数の多いリゾートホテルが乱立しました。そしてバブル崩壊後の現在、このような贅沢施設が地方の財政を悪化させているのは、みなさんご承知の通りです。アメリカでは、ハンバーガーを食べ過ぎて太ったのはマクドナルドの責任だと訴えた人が現れましたが、この伝で行くと、プレゼンソフトのパワーポイントを販売しているマイクロソフトが訴えられる日も近いかもしれません。

 今回取り上げるのは公共施設です。じつは、ふれあいがもっとも好きなのは、スナックのママでも薬剤師でもなく、お役人のみなさんなのです。

 市町村などが建設・運営しているもの、もしくはそれに準ずる公共性の強い施設を対象に、地図情報を元にデータを作成しました。データ作成には「ちず丸」を利用しました。私が知るかぎり、現在もっとも検索情報が充実している無料地図サイトです。

 対象となるおもな施設は、公民館・福祉施設・公園・道路・橋など。この中で「ふれあい○○」(触れ合い・触れあい・ふれ合い・ふれ愛など含む)と名付けられたものが、日本全国でじつに約1800もあるのです。

 内訳の上位をあげましょう。「ふれあい広場」413、「ふれあいセンター」320、「ふれあい公園」223、「ふれあい会館」108、など。どうりで、道を歩けばそこかしこにふれあい広場やふれあい公園がありますし、近所でなにか建築工事が始まると、かなりの確率でふれあいセンターかシアトル系コーヒーショップだったりするわけです。

 変わり種でいえば、福島県の「UFOふれあい館」が随一でしょう。名前だけ聞くと、どこかの変人が道楽でこしらえたような、いかさま臭い響きがありますが、実際は、飯野町振興公社という第三セクターが運営する公共施設です。UFO関連の展示室だけでなく、有料の展望風呂や会議室、畳敷きの大広間まで用意されていますから、UFOに興味のないかたでも利用できます。

ふれあい施設

 これは「ふれあい」と名のつく施設(公共性の強いもの)の都道府県別分布状況を示したものです(2002年11月現在)。トップの愛知県(152)を筆頭に、以下埼玉(151)、北海道(123)、新潟(107)、神奈川(103)……と続きます。次に、人口10万人あたりの施設数もついでに掲載します。この数値が高いほど、ふれあい施設が利用しやすい環境にあるといえます。

ふれあい施設密度

 愛知・埼玉・北海道・新潟は、絶対数でも利用しやすさでもトップクラスのふれあい県です。愛知県は80年代初頭、市町村の協力を得てふれあい広場の建設を熱心に進めていました。それが現在のふれあい王国を築く基礎となりました。朝日新聞は81年8月2日の社説で、こういった「ふれあい構造」は大いに推進してほしい、と不可解な表現でこの事業を応援しています。じつは朝日新聞記者のふれあい好きは、この例だけにとどまりません。彼らがどれほど「ふれあい」に入れ込んでいるか、また、なぜふれあい事業が80年初頭から始まったのか、その謎の答えは次回の講義、ふれあいの歴史編で取り上げます。


●公務員はふれあいがお好き

 公共施設を一つ作るにも、おいそれとはいきません。計画から竣工(建物が完成すること)まで早くて2、3年はかかります。なにしろ相当な金額の予算を工面しなければならないのです。小さい公園や広場でも億単位、ふれあいセンターのような箱ものならば、規模にもよりますが、総事業費は10億円単位となります。

 このお金の出所がまた複雑です。うまくすれば半分くらいを国が国庫補助金として負担してくれます。この辺のお金をどれだけぶんどってこれるかが、議員さんの腕の見せ所。それ以外には、地方交付税やら地方債の発行やら、いろいろなところから予算をかき集めてきます。でも、地方債なんてのは、いうなれば借金です。サラ金屋までがふれあいを売り物にするご時世ですが、まさしく、地方自治体はふれあい施設建設のために、多額の借金を重ねているのです。

 そこまでしてふれあい施設を作って、お役人のみなさんは何を期待しているのでしょうか。そして、実際、なんらかの効果があるのでしょうか。

 ふれあい施設の増殖は、地方公共団体だけのしわざではありません。多くの場合、裏で中央官庁の意向がはたらいています。80年には自治省が「都市コミュニティー構想」を打ち出しました。「心のふれあいのある地域づくり」を全国に広めるため、都市部の住民の集会施設建設に補助金を出すというものです。

 84年には、当時の森林浴ブームに便乗し、農林水産省の指導のもと、全国に「ふれあいの森林」を整備することが決定しました。私はてっきり、ふれあいというのは人間同士の交流を指すものだと思っていましたし、それには会話などによる意思疎通が必要なはずです。いったい、森林とどうやってコミュニケーションをとるのでしょう。やはり、しぐさと表情と身だしなみでしょうか。

 この点に関して、経済企画庁が『平成5年版国民生活白書 豊かな交流――人と人とのふれあいの再発見』で説明を試みています。

 「心のふれあい」という点に注目すれば、交流は必ずしも人間関係に限定されるものではない。日本人には古来より自然を人格化して考えるというアニミズム的傾向もあり、また、自然にふれて自己との同一感を感じる場合、……自然等も主観的には交流の対象となりうる。

 縦割り行政、なわばり意識の弊害が指摘される諸官庁ですが、ふれあいに関してはナイスアシストです。やや伝奇ロマン的強引さが目立つ説明ですが、要するに、日本人は有形・無形、すべてのものとふれあえる、ということです。こうなったらもう、なんでもありです。Go! Fureai, Go! 誰も俺の前を走らせねえ、速度無制限のふれあいバトルだぜ。

 農林水産省は89年には、農家にお嫁さんを世話するために「まちとむらの若者ふれあい促進事業」を計画し、5900万円の予算を請求しました。

 しかしなんといっても、ふれあい大好きなお役所は文部科学省です。旧文部省時代から、彼らはなにかにつけてふれあいを持ち出してきました。

 80年頃から校内暴力が急増、続いていじめ問題が深刻化する中で、85年に文部省主催の生活指導推進全国会議において、教師にもっと生徒とふれあうよう求めました。2000年には凶悪化する少年犯罪を防止するためとして、オリンピックのメダル獲得者を学校に派遣する「メダリスト・子どもふれあい事業」を行っています。

 また、平成13年度予算では「地域ふれあい交流事業」に数十億円をつぎ込みました。引き続き平成14年度には、「青少年の凶悪犯罪や社会性の欠如など子どもたちを取り巻く教育環境が悪化しており、地域社会で心豊かな子どもたちを育成することが緊急の課題となっている」ことを理由に、「子ども放課後・週末活動等支援事業」に10億円の予算を計上しています。

 2002年に完全学校週5日制が始まると、ここぞとばかりにふれあい事業の実施を奨励します。その意向をくんで、日本中の地方公共団体や教育委員会が張り切ってプログラムを開始します。「家族ふれあい塾」「ふれあいクッキング」「親子ふれあい入浴」「青少年ふれあい環境作り」など、こどもたちは息つくヒマもなく、ふれあいにつきあわされています。今後は、こどもたちのふれあい疲れをどうやって癒すかが課題になりそうです。


●ふれあいの効果を検証する

 地方自治体によるふれあい公共施設の建設は、こうした一連の中央官庁ふれあい礼賛に便乗した結果でもあります。税金の無駄遣いの筆頭としてやり玉にあげられる公共事業。その見直しが叫ばれ、住民の目も厳しくなりました。でも「ふれあい施設」と名がつけば、いかにも地域のために建てたのだ、という印象になります。「ふれあい」には圧倒的にプラスのイメージがありますので、へたに批判しようものなら、批判した人のほうが「あの人はふれあいを求めない冷血人間なんだわ」などと攻撃の対象にされかねません。もし「ふれあいダム」や「ふれあい高速道路」の計画案が出されたら、住民のみなさんはどういった反応を示すのでしょうか。

 ではこのあたりで、ふれあい施設の建設が、社会になんらかの影響をおよぼしているのかを検証してみましょう。

1.少子化対策

 「ふれあい橋」が全国に71か所もあると聞くと、意外に思うかたがいるかもしれません。なぜ公共の交通施設である橋でふれあわねばならないのか、理解に苦しむところでしょうが、これにはれっきとした理由があります。イギリス映画『哀愁』では、ワーテルロー橋でビビアン・リーとロバート・テイラーが出会いました。邦画『君の名は』で岸恵子と佐田啓二が出会うのが数寄屋橋、アメリカの『マディソン郡の橋』ではメリル・ストリープとクリント・イーストウッドが出会います。橋は男女の出会い・ふれあいの場の象徴なのです。

 つまり、「ふれあい橋」のネーミングには、地元の青少年にナンパスポットとして利用してもらい、出生率をあげて少子化の波をくい止めようという、地方公共団体のみなさんの親心が込められているわけです。

 では、全国の合計特殊出生率データを見てみましょう(普通、社会学者が出生率を話題にするときは、この値を用います)

合計特殊出生率

 北海道・東京・愛知・埼玉・福岡といった、ふれあい橋の多く存在する県で、軒並み出生率が低いことがわかります。残念ながらふれあい橋には、少子化をくい止めるどころか、ますます加速させる機能があるようです。縁起でもないので早いとこ取り壊しましょう。

2.少年凶悪犯罪

 文部科学省が主張するように、はたしてふれあいには凶悪化する青少年犯罪を押しとどめる効果があるのでしょうか。県別の少年凶悪犯罪数を見てみましょう。

少年凶悪犯

 ふれあい効果が認められるのは山梨県くらいのものです。ふれあい王国であるはずの愛知・埼玉・北海道がピンチです。100か所以上ものふれあい施設を建設したにもかかわらず、まだ少年たちの心には届いていないもようです。

3.校内暴力・不登校

暴力行為

 学校で深刻な問題となることの多い二つの事例です。まずは校内暴力ですが、このデータは公立の小中高生が校内・校外で起こした暴力行為の合計であるとお断りしておきます。このうちおよそ85%が校内暴力です。近畿地方および山陽地方が荒れています――というと聞こえが悪いのですが、この数字はあくまでも文部科学省がつかんでいる件数であり、氷山の一角の可能性も否めません。いじめが原因と疑われる自殺が報道されるときの校長先生の常套句「いじめはなかったものと認識しております」でわかるとおり、いじめや暴力といった(学校関係者にとって)世間体の悪い問題は、往々にしてもみ消されてしまうものです。そう考えると、このデータは近畿・山陽地方の校長先生が正直であることを示しているのかもしれません。しかしいずれにせよ、ふれあい施設との因果関係は認められません。

不登校

 不登校児童・生徒に関しては、またもや愛知・埼玉・北海道のふれあい王国で多いことがわかります。やはりこどもたちは、教育関係者や自治体からの押しつけがましいふれあいに疲れ、逃げ出しているようです。

 実際、89年の新聞紙上で、教師や友人との深いつきあいができない「ふれあい恐怖」の大学生が増えたことが報告されています。山田和夫さんによれば、80年頃からこの症状が出始めたとのことで、現在では「ふれあい恐怖症候群」として保健医療の現場でも認知されています。やはり80年がカギなんですね。ふれあい施設が建設され始めたのも80年。これは偶然なのでしょうか? それとも……?


●危険なふれあい

 その一方で、教師の側のふれあい行動は暴発の度を増しています。次のグラフでその様子が明らかになります。

わいせつ教師・体罰教師

 多くの教員が文部省の指導を忠実に守り、ふれあいを求めているようですが、そのやりかたに少々問題があります。ふれあいはあくまでも、心と心を通わせることを意味します。殴ったり触ったりといった肉体的接触はいけません。よく、通学路には「ちかんに注意」の看板が立っていますが、一番危ないのは学校の中だったりします。

 肉体的接触をふれあいとカン違いしている人の代表選手が痴漢です(代表選手といっても、スポーツ関係者とはかぎりませんし、国体への出場資格もありません)。ふれあい王国愛知県の鉄道警察隊には、痴漢被害者のための相談電話「ふれあいコール」があるのですが、この名前はいかがなものかと。被害者は、痴漢がふれあいを求めてきたことに怒っているのですから。

 なお、おなじくふれあい王国である埼玉と東京をつなぐJR埼京線は、痴漢が多いことで有名だそうですが、これに関するきちんとした統計資料が見あたりません。とはいえ、痴漢の統計そのものが、もとより少ないのが実情です。法律上では痴漢に対するはっきりした定義がないため、痴漢は統計上、強制わいせつ罪か、各都道府県の迷惑防止条例違反としてくくられてしまうのです。

 ということで、今回さまざまな角度からふれあい効果を検証してきましたが、官公庁や地方自治体がふれあいに莫大な予算をつぎ込んだところで、目立った効果は見られないという結果に終わりました。それどころか、ふれあいのゆがみやずれ、逸脱ばかりが目につきます。

 こどもたちが荒れたりキレたりこもったりする原因を、ふれあいの量が足りないせいだと決めつける短絡的な論調が世間にはびこっていますが、本当は、ふれあいの質、中身にこそ問題があるのです。次回は、ふれあいの歴史と変容をもとに、さらにふれあいの本質に迫ります。


今回のまとめ

  • 奈良県と香川県を除く全県に、スナックふれあいがあります。
  • 「ふれあい」公共施設は全国約1800か所にあります。
  • 公務員はふれあいが好きです。文部科学省には、特にその傾向が強く見られます。
  • ふれあいには莫大な費用がかかるわりに、その効果は期待できません。
  • 学校内は、危険なふれあいに満ちています。
  • 痴漢はふれあいを求めています。

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