最近の○○・バックナンバー 3(2007年)

●2007年のよかったもの (2007.12.26)

 こんにちは。コブクロとマジック・ナポレオンズの区別がつかないパオロ・マッツァリーノです。

 私にとっての2007年は、とてもいい年だった……はず。『つっこみ力』の発売時には、新書売り上げベストセラーにランクインしましたし、念願だった『反社会学講座』の文庫化も実現できました。ラジオの収録でスタジオに入るなんて経験までさせてもらえました。

 ただ、それがどれも今年前半の出来事だったので、もう冷めてしまったんですよね。本当なら後半にも1冊出す予定だったんですが、遅れてるもので。たぶん、年の後半にいいことがあったほうが、年末に1年を振り返ったときに、ああいい年だったなあ、とより強く感じるんでしょうね。人間ってのは勝手なものです。

 あ、そうそう、宝島社の『この文庫がすごい! 2007年版』のノンフィクション部門(だったかな?)に『反社会学講座』が選ばれてます。ちゃんとおぼえてくれてたかたもいるようで、ありがたいことです。

 本が売れた、ということはもちろん嬉しいのですが、それによっていろんな人にお会いできたことのほうが、よかったと思います。やっぱり、人との関係、つながりこそが財産です。優等生的な精神論じゃなく、経験上の実感としてね。もちろん世の中広いんで、カネしか信じない人、学問理論しか信じない人、ネットで孤高を気取る人、いろいろいます。でも私にはそういう人たちがちっとも楽しそうに見えないんです。ヤセ我慢なんか、やめたらいかがです?

 さて、私の来年の目標ですが、書き下ろし2冊刊行。よし、来年こそは。

2007年のよかったもの

『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(アメリカ映画)
 3度目の結婚に迷っている貴女も(誰よ?)この映画にはご満足いただけることでしょう。トミー・リー・ジョーンズは缶コーヒーのCMでガッポリ稼いで悠々自適かと思えば、映画も撮ってたんですね。南米文学のマジックリアリズムを持ち込んで、西部劇の新たな可能性を開拓した傑作。役者の道楽なんてもんじゃありません。

キム・ギドク監督作品(『うつせみ』『弓』『サマリア』など 韓国映画)
 韓国映画なんてどこがいいのさ? 再放送の恋愛ドラマみたいなのばっかりじゃん。でも、キム・ギドクだけは別格ね。留守宅に勝手に住み、人妻と逃避行するイケメン。幼女を誘拐し育てて嫁にしようとするジジイ。娘の援交相手を殺してしまう父親。アブナい人ばかり出てくるのに、なぜか純粋さを感じさせる現代の寓話。

パッカーズとカウボーイズ(NFL・アメフト)
 パッカーズとカウボーイズが強いNFLだなんて、まるで10年くらい前のシーズンに戻ったみたい。プレーオフでどう転ぶか、まだいまの時点ではわかりませんが、個人的には、スーパーボウルは96年シーズン、パッカーズ対ペイトリオッツ戦の再現を望みます。

ラリー・フランコ『インポート・エクスポート』(ジャズCD・イタリア輸入盤)
 御陽気なダミ声でピアノ弾き語り。これぞイタリア伊達オヤジの本領発揮。アメリカのスタンダードナンバーが、途中から曲調の似たイタリアの歌にすり替わるという、なんとも不思議なメドレー集。企画も選曲も演奏もいいのに、すでに中古屋では800円で叩き売り? 日本のジャズオヤジどもよ、たまにはこういう粋(いき)なジャズも聴こうよ。

黒酢酢豚(中華料理)
 酢豚が嫌いです。だってあれ、酢っていうかケチャップ炒めじゃない。なんか食べると口の中から顔全体に貧乏くささが広がります。自分の中では最低最悪の中華料理でした。ところが近頃、ケチャップでなく黒酢を使った酢豚を出す店が増えてきました。これがうまいのなんのって、今年、ワーストからベストへと大躍進。


●最近の仕事とテレビゲーム観戦 (2007.12.3)

 こんにちは。どてらい男(ヤツ)、パオロ・マッツァリーノです。歩きながら無意識に鼻歌を歌うことが多くなったら、中年の証拠なのかもしれません。私も先日、気がつくとなぜか「男 歩けば〜」のメロディーを口ずさんでました。で、花登筐(はなとこばこ)の小説を読んでみたくなり書店に行ったのですが、どうやらほとんど絶版のようです。今度図書館で探してみます。

 すいません、20代の人を置いてけぼりにしたネタで。さて、浪花の商人とはまったく無関係に、江戸の話をしてきました。例によって、江戸の人たちはいいかげんだったってな話ですが、そのインタビュー記事が福音館書店の『母の友』1月号に載ってます。あまり書店には置いてなくて、おもに保育園とか幼稚園とかが販売ルートになっている雑誌だそうです。もし、目にする機会がありましたら、お手にとってみてください。『主婦の友』じゃありませんから、お間違えなく。

 では、20代にもわかるネタを。ちかごろ、テレビゲームにちょっとハマってます。といっても、遊ぶんじゃなくて見るだけ。YouTubeにアップされている、うまい人がプレイした映像を見るんです。いわば、スポーツ観戦みたいなもんですね。

 もともと私はゲームが嫌いではなかったのですが、得意ではありません。テレビゲームの原体験がインベーダーという世代ですから、赤い玉のついたレバーとボタン1個か2個、それ以上の複雑な操作はできません。ためしに最近のゲームをやってみたのですが、もうついていけません。左の親指でキャラを移動させつつ、右手の人差し指と中指で武器を選んで右の親指でジャンプアンドシュート、なんて無理。指がつる。娯楽ではなく苦行。

 そこで、ふと思いつきました。ゲームのうまい人なら、自分のプレイを自慢するためネットで公開してるんじゃなかろうか、と。で、YouTubeを探してみたら、やっぱり。たくさんあるじゃないですか。

 ただし、ゲームのタイトルだけで検索すると、人気のあるものだと何百個も出てきてしまいます。いろいろ試してわかりました。絞り込むコツは、Speedrunという単語。最速最短ルートでムダなく華麗にプレイすることを、どうやら欧米のゲーマーはSpeedrunと呼んでるようです。この単語とゲームのタイトルを組み合わせて検索すると、けっこうおもしろいのが見られます。

 たいていはアクションゲームですが、なかには、普通にやると何週間もかかりそうなRPGを、特殊なルートや魔法を駆使することで、ものの10分程度でエンディングまでいくなんてのもあります。世界には研究熱心なゲームオタクがいるんですね。

 Speedrunで検索がヒットしないときは、WalkthroughとかPlaythroughという単語で検索してみてください。こちらは最短ではないかもしれませんが、アドベンチャーゲームなどを最初から最後まで通しで見ることができます。

 最新のゲームだけでなく、懐かしいタイトルもけっこうあるので、オールドゲーマーも楽しめるんじゃないでしょうか。


●「日本列島プチ改造論」の連載が1周年を迎えました (2007.10.27)

 こんにちは。小島よしおさんと中孝介さんの区別がつかないパオロ・マッツァリーノです。もともと人の顔と名前をおぼえるのが苦手だったのですが、歳とともにさらに悪化してるような気がします。

 前回のサイトの更新から、だいぶたってしまいました。ブログを毎日更新してる人たちって、マメだなあ。私はそんなにドラマチックな毎日を過ごしているわけでもないので、とくにみなさんに報告するような近況もありません。あ、もしかして、日常のどうでもいいことをだらだら書くことこそがブログの愉しみだ、って考えかたもあるんですか? そうですか。なるほど。

 書き下ろしの本の原稿も書いてはいるのですが、遅々として進まず。本を書くたびに、つねに前とはなにか違う趣向を盛り込もうとしてハードルを高くしてしまうので、よけいにつらくなるんですけど。当初の予定ではいまごろ出てるはずだったのですが、大幅に遅れ、たぶん来年……?(担当編集者ならびに出版社のみなさん、すいません)

 一方、大和書房のサイトで毎週連載している「日本列島プチ改造論」ですが、こちらはめでたく連載1周年を迎えました。これまで長期連載というものをしたことがなかった私にとっては初めてのココロミでしたので、まずはここまで続いてホッとしています。毎週書く、毎週違うネタを用意するってことが、けっこう骨の折れることだと、身にしみてわかりました。

 なお、1周年を記念しまして「プチ改造論」のページのデザインと岡林みかんさんのイラストもリニューアルしました(10月31日更新分から)ので、ぜひご覧ください。これまでのイラストではロバに乗って放浪していたパオロさんですが、ようやくピザ屋になることができたようです。腕毛と胸毛がピザのトッピングにならないかと心配です。

 「プチ改造論」の連載は、もう1年続く予定になっております。まだようやく折り返し点かあ。


●最近の扇風機と脳内 (2007.9.7)

 こんにちは。毎年夏になるとわが家で活躍してきた扇風機が、三洋製の30年前のもので火を噴く可能性があると知った、パオロ・マッツァリーノです。

 扇風機が発火するというニュースを見たとき、まさかウチのは違うだろうと思ったのですが、念のため三洋のサイトを見たら、該当モデルでした。そんな古い型だとは。なにしろ、10年くらい前に粗大ゴミ置き場で拾ったもんで、出自が不明だったのです。

 私は無精なわりに機械類のメンテナンスとかは苦にならないタチなので、こまめにモーターまわりのホコリとかも掃除して使ってます。なんの問題もなく動いてますけどねえ。ホントに火ぃ噴くの?

 新聞だか雑誌だかに、30年前の扇風機がまだ使われているなんて信じられないというコラムが載ってましたが、扇風機は通年使うわけじゃなく、動かすのはせいぜい年に3、4か月です。30年くらい使えても、なんの不思議もないはずです。下町あたりの古い店とか床屋では、年季の入った扇風機が普通に使われてるような気がするんですけど。

 むしろ今回の騒動によって、日本の家電メーカーの優秀さが証明されたんじゃないですか。いまや扇風機みたいな安い小物家電は、ほとんどが東南アジアや中国製です。現在出回ってるそうした製品は、はたして30年後も現役でいられるでしょうか。

 それにしても、この夏は猛暑が続きました。環境問題がウソかどうかなんて議論だとかデータ合戦は、もうどうでもいいですよね。暑いのは否定しようのない事実なんですから。ご自分のアタマの良さを世間にアピールしたいなら、議論ではなく、どうやったら気温が下がるのか、下げられるのかを考えて発表していただきたいものです。

 私は夏の猛暑でやられたのか、その疲れが今頃出てきまして、脳がまったく働きません。ぐったりしてテレビを見てたら、いまネットでは脳内メーカーなるものが流行っているとのこと。さっそくためしてみました。

パオロマッツァリーノの脳内

 嘘を固めて愛でコーティングしてあるようです。作為的なまでにイメージにピッタリですが、実際、こういう結果が出たんです。でも、中黒(・)を入れるとガラッと変わりまして、

パオロ・マッツァリーノの脳内

 ま、これはこれで、なかなかイタリアンな脳内かな、と。


●『反社会学講座』文庫版、絶賛発売中です (2007.8.5)

 こんにちは。参院選で歴史的大敗を喫したパオロ・マッツァリーノです。おもな敗因は、立候補届けを出し忘れたことじゃないかと思います。

 さてさて、7月に発売された文庫版『反社会学講座』のほうですが、こちらの評判は上々です。追加収録した補講も好評、おかげさまでさっそく増刷もされました。読者のみなさん、書店のみなさん、ありがとうございます。

 社会時評や時事ネタを扱った本は、つねに風化との戦いを強いられます。ナマモノだともいわれます。しかし、『反社会学講座』は3年たっても読んで楽しめます。読み物として、作品としての強度があれば、賞味期限はかなりのばせるのだと証明されたのではないでしょうか。

 3年前の予定では、単行本が百万部売れて彗星のごとく消え去り、いまごろ南の島で悠々自適のはずでしたが、夢は破れました。私も生活がありますもので、いまだしぶとく書き続けております。ですから、私のことを目障りだ早く消え失せろと願っているかたは、お手数ですが『反社会学講座』の文庫版を百万冊ほどお買い上げいただけますか。そうすれば私が隠居するインセンティブをより確実にすることができるはずです。およそ8億円でおつりがくると思います。つりはとっといてください。あ、おつりはもともとそっちのものですか。

 新書の『つっこみ力』はベストセラーランキングに食い込むことを狙ってましたし、なんとか実現できました。けど、さすがに文庫では狙いません。文庫のベストセラーって人気作家の小説とかですから、ケタが違います。テレビドラマ化でもされないかぎりは、勝負になんかなりゃしません。って、どんなドラマだ。干物女と同居するのか。反社会学王子が対決するのか。「おまえのデータなんか握りつぶしてやる!」

 それでも、三省堂書店の神保町店では、文庫の週間ベストセラーに入ったとのこと。いつも私の本を大々的に並べていただいて、ありがとうございます。

 日頃はベストセラーランキングを気にかけてないもので、久しぶりに見て驚きました。文庫のランキングに『カラマーゾフの兄弟』なんてのが入ってるんです。読みやすい新訳が出たんだそうで、まあたしかに外国の名作文学は古臭い翻訳で損をしてますから、改訳は喜ばしいことです。それにしたって、カラマーゾフ、そんなに読みたかった人がいたとはねえ。どんな人が読んでるんだろう? 私は20代のころ手にとって、途中で投げずに読了しましたから、それなりにおもしろかった記憶はあります。でも内容はほとんど忘れてますし、再読しようって気にもなりません。

 過去の遺物といわれてもしかたのない名作文学に、これほどの需要があろうとは、おそらくほとんどの人は想像だにしなかったことでしょう。マーケティングなんて、あてになりませんよね。消費者の顔色うかがって当たり障りのないものを出すのでなく、これおもしろいでしょ、いままでになかったでしょ、他とは違うでしょ、いいでしょ、と積極的に仕掛けていかなくちゃ。

 つくづく思うんですが、やっぱり独創性とか個性とかって、大事なんですよ。ここ最近、個性なんかいらん、マネをしろ、って論調ばかり耳にします。たしかに、教えることができないからこそ個性なのであって、個性を伸ばす教育なんてスローガンがお題目にすぎないのは事実です。けど、個性よりもマネ、と主張してる人たちにも問題があります。その主張にはかなりの割合で、才能も個性もない人のヒガミが混じっていますから。

 後に残らないやっつけ仕事ならともかく、長い目で見れば最終的には、マネはやっぱりダメなんです。すべての作品は過去の作品の再生産にすぎない、とかなんとか、現代思想かぶれの連中はいいますが、耳を貸す必要はありません。そういうシニカルなことをいう人にかぎって、だれかが新しいものを作り上げると、人一倍嫉妬するんですよね。「そんなもん、オレだってやろうと思えばできたさ、フフン!」「そんなのは過去のあれとあれの組み合わせによる再生産にすぎないじゃないか、ケッ!」

 はいはい。

 マネでもいい、といえるためには、マネの部分を許してもらえる程度のオリジナリティーが絶対必要なんです。誰が見てもマネだとわかる低いレベルで開き直ってる人が作品を作るとどうなるかといいますと、そのいい例が、中国のニセディズニーランドです。みなさんあれを笑ってましたけど、マネを重視する教育の成果があれだとしたら、ちょっと考えものですね。


●最近の仕事と『反社会学講座』文庫版をよろしくお願いします(時効警察風)(2007.7.7)

 こんにちは。社会学界の黒船、パオロ・マッツァリーノです。ただし、社会学者ではありませんし、露出は最低限に抑えてます。敵対的な株の買い占めもしません。

 お待たせしました、学界や業界に激震を走らせた奇書『反社会学講座』の文庫版(ちくま文庫)が、いよいよ7月10日発売です。お近くの書店、大学生協、ネット書店などでお求めください。

 単行本とはどこが違うのか。表紙イラストは単行本と同じ吉田戦車さんのを使ってます。タイトル文字が渋めの赤紫みたいな色になりました。自分ではけっこう気に入ってます。

 本文は、誤字脱字、明らかな数値や言葉の誤りのみ修正しました。今回見直したところ、単行本のグラフは、目盛りとか軸の数字がけっこうずれてたことに気づきましたので、そのへんも文庫版では訂正してあります。単行本の校正のときは気がつかなかったようで、うかつでした。

 各回ごとに、「三年目の補講」としてこの3年間に起こった変化などをまとめてあります。新ネタ・小ネタ・写真も追加して、全部で50ページ強ありますので、補講だけでもコラムとしてお読みいただけます。これだけ中身が充実して、お値段は単行本の約半額! なんてお買い得。単行本を持ってるからいいや、なんてつれないことをおっしゃらず、懐にちょいと余裕のあるかたは、文庫版も買っていただけますと、私と出版社と書店の企業価値がアップし、日本経済の国際競争力を高めます。

 というわけで、今後『反社会学講座』の本文から引用したり参考にしたりする場合は、できるだけ文庫版の補講を参照してくださるよう、お願いします。そうしないと、古い情報を引用してしまうおそれがあります。

 いま読み直すと、ずいぶんトガってますねえ。補講のほうでも負けじとキツい指摘をチクチク繰り出してますので、またマヌケな負け犬学者やアタマの固い評論家が怒ることでしょう。文句があるなら、自分がもっとおもしろい本を書けばいいのに。そういうプラスの努力をせずに、批判だけしていい気になってるマイナス志向の人たちって、なんか脳も心も淀んでますよね。

 ときおり、書評の仕事をいただきます。『本の雑誌』8月号の、今年上半期のおすすめ本特集にも寄稿しております。でも私は純然たる書評ってのを書くのが苦手で、本の紹介のはずが、結局ほとんど自分の駄弁になってしまいがちです。編集者のかたはおもしろがってOKしてくれますけど、著者のかたには、なんだかなあ、と思われてるかもしれません。

 もしかして書評を依頼されるのは、私が自分の本に必ず詳細な参考文献一覧をつけているせい? それで私はすごい読書家だと思われてるとか? でも自分がいわゆる読書家であるかどうか、自信は持てません。なにかを調べるために図書館でまとまった量の本に目を通すことはありますけど、書店に足繁く通っておもしろそうな新刊を渉猟したりはしないんです。

 ですから今回の『本の雑誌』の依頼にも、ちょっと困ってしまいました。新刊、ほとんど読んでないんですよねえ。谷岡一郎さんの『データはウソをつく』の書評は筑摩の広報誌に書いたばかりだし(筑摩書房のサイトの紹介ページにも転載されてます)。で、このサイトで以前オススメした『論より詭弁』を再度取り上げることにしました。二度も紹介するなんてよっぽど気に入ってるのか、と思われるかもしれませんが(おもしろい本であることはたしかですが)、どちらかというと、他に読んでないからというのが理由です。

 書評ってけっこう、引き受けるべきかどうかで悩むんですよ。もちろん、原稿を書く余裕があるときはできるだけお受けするのですが、お金もらって書く以上、基本的にほめる書評しか書きたくないし。お金もらったからといって、つまらない本の提灯書評を書くのも気が乗らないし(宣伝・広告のために書くならべつですが)

 私はたいてい、映画はアタマの20〜30分、本はアタマの50ページくらいまでで興味を持てないときは、投げてしまいます。これまでの経験で、それ以上続けて見ても読んでもおもしろくはならないことがわかってるからです。ラストだけおもしろい作品なんてありません。おもしろいものは最初からおもしろい予感を必ず漂わせてます。誰だったか歌謡曲の作曲家は、最初の4小節聞けば、いい歌かどうかわかるといってました。落語では本題の前にまくらという軽い話をしますが、これがつまらないと、あとの話もたいてい盛り上がらない。漫才とかでもつかみが大事っていいます。

 つまらないものに最後までつきあって、悪口を書いたりするくらいなら、そんなもんはさっさと見切りをつけて忘れてしまうほうが精神衛生上もいいですよ。マズい食べ物を無理して腹一杯食べて、マズいとレビュー書くのって有意義な行為ですか? 一口食べてマズいとわかったら、べつのおいしいものを食べに行くほうが人生、楽しいでしょう。


●『反社会学講座』が文庫になります(2007.6.3)

スナックふれあい

 こんにちは。ナポリ3区から参院選に立候補予定のパオロ・マッツァリーノです。筑紫さんの後継キャスターにも立候補したいと思ってます。

 ヨタ話はさておきまして、ここから先はまじめな話。『反社会学講座』が文庫になります。ちくま文庫から7月発売予定です。

 物書きの仕事をはじめたのは、かれこれ10年近く前のことですが、文庫を出すというのは、その当時からのひとつの目標でした。文庫書き下ろしでなく、単行本の文庫化ね。単行本は、ある程度売れるか、それなりに内容がおもしろいと認められないかぎりは、文庫化の声はかかりません。ですから単行本が文庫になるというのは、物書きにとっては、ある種の勲章ですし、同じ原稿で2度印税が入るのですから、ボーナスみたいなものでもあります。

 本が文庫になるのは通常、単行本発売の3年後です。『反社会学講座』が出てからもう3年たつんですね。はやいもんです。

 社会現象を扱った本は、なまものでして、3年もたつと風化してしまいがちです。文庫化に際して、ひさしぶりに読み返してみました。時事ネタ部分などでいくつか古びてしまったところがあるものの、全体としては、まだまだじゅうぶん通用するだけの強度があると確信しました。やはり、おもしろい読み物として、オリジナルな作品として成立するよう意識して書いたのが功を奏したのでしょう。

 というわけで、本文にはほとんど手を加えないことにしました。そのかわり、各回ごとに「三年目の補講」というページを設けまして、この3年間に起こった社会情勢の変化や、いただいた御意見に対する回答や、執筆時の裏話などをつづっております。この補講分だけでも全部で80枚(400字詰め原稿用紙換算で)くらいの分量がありますし、写真も何点か追加しています。文庫は判型が小さいので、写真がちょっと見づらい点はご容赦を。上の写真は文庫未収録の一枚です。

 単行本をお持ちのかたにも楽しんでいただけるのではないかと思いますし、もちろん、おこづかいが少なくて単行本が買えなかったというかたは、ぜひ、この機会に文庫をお買い求めください。文庫の表紙カバーには、単行本と同じ吉田戦車さんのイラストを引き続き使用することになりました。

 なお、文庫化にともない、単行本のほうは在庫分を持って絶版となりますので、コレクターズアイテムとしてどうしても単行本を手に入れておきたいというかたは(いるのか?)、お早めに。


●最近の仕事とかぶりものの謎(2007.5.3)

 こんにちは。いつかはケミストリーのもみあげをマネしてみたい、パオロ・マッツァリーノです。

 4月中は珍しくいっぱい原稿を書きまして、取材で写真を撮りに出掛けたりもしましたし、ちょっと疲れました。まあ、仕事があるってのは、ホントにありがたいことなんですが。なんの原稿かは、来月あたりにお伝えできると思います。それほどもったいつけるようなものでもありませんけど。

 『つっこみ力』ですが、電子書籍でも購入できるようになりました。とかいってる本人が、電子書籍がどんなもので、どのくらい需要のあるものなのか全然知らなかったのですが、特殊な形式のデータになっていて、専用のソフトを使ってパソコンなどで読むのだとか。興味のあるかたは、電子文庫パブリのサイトで探してみてください。その他の電子書籍販売サイトでも、順次購入可能になるとのことです。

 電子書籍なんてものもそうですけど、私の知らないうちに、ネットでは日々、いろんな新しいことが起こってるんですね。私は、ジャズの店とか芸能ニュースとか海外ニュースとか、ほとんど決まったところしか見ないので、よくわかりません。このサイトだって、いまだに始めたときの形式ほぼそのまんまだし。

 先日、サイバーバズという会社が、ブログツッコミツールPAOLOという、新たなサービスを始めたそうです。ブログにマンガの吹き出しみたいなカタチでつっこみを入れられるツールなんですね。ブログもいろいろ進歩してるんですなあ。

 もちろんPAOLOという名前は、私の名前と本にちなんでつけられたんですけど、だからといって私は耳毛おじさんのように、ワシの名前はおまえには使わせん! などと怒って杖を振り上げたりはしません。それどころか、ブログをやってもいない私が、そのPAOLOに絶賛コメントを寄せています(http://paolo.jp/)。代わりにむこうも私の本を絶賛してくれるという、いわゆるひとつの、持ちつ持たれつ、ギブアンドテイクというオトナ社会の縮図です。

 書いたコメントを読み直してみると、絶賛し忘れてる気もするんですけど、まあ、いいや。ちなみに、私はそのツールの企画などには参加してませんし、名前の使用料だの権利料だの、そういったものも一切発生してません。一儲けしようと企んでるわけではございませんので、ゲスの勘ぐりはせぬように。

 あ、そうだ、『つっこみ力』の著者写真で、頭がとんがってるのはなんなんだ、と聞かれてお答えしていなかったんですが、あれは、チーズヘッドという帽子をかぶってます。NFL(アメフトのプロリーグ)のグリーンベイ・パッカーズというチームの応援グッズで、三角形に切ったチーズの形をしています。チーズヘッドには、俗語でアホという意味もあります。10年くらい前、パッカーズが強かった時期に日本で入手できたんですけど、ここ数年は低迷してるんですよね。ファーブもおそらく今年で引退だろうし。と、アメフトを知らない人にはなんだかわからない話ですいません。


●最近のファン心理とおすすめ本(2007.4.3)

 最近なにが驚いたって、私の著書の文章が、某大学で今春の入試問題に使われていたことくらい驚いたことはなかったですね。入試問題という性格上、事前に許可を求めることができないんで、使いました、とあとからいわれてはじめてわかるんです。朝日新聞は毎年、記事が入試問題に出題される率が高い、と宣伝してますけど、あれって売り上げ増につながってるんですかね。私も宣伝しようかな。

 それはさておき、4月4日発売の『ダカーポ』に、私のインタビュー記事が載ります。ビジネス書特集の一環としまして、ビジネスにおけるつっこみ力、をテーマに語っ……たかなあ? 2時間ちかくお話しして、そのうちの九分九厘はムダ話をしてたような気がしますが。誌面にはビジネス書に関するお話のところしか載りませんが、ノーカット版でお届けできないのが残念なくらい、くだらなくも楽しいひとときでした。

 みなさまのご声援のおかげで、『つっこみ力』は、5刷りまでいきました。印税が入ったら、わが家にもナントカ還元水を導入する計画です。どこで売ってるんだろう。あとで農水省に電話してみます。

 さまざまな新聞・雑誌・テレビなどでも取り上げていただきました。ありがとうございました。TBSテレビ『王様のブランチ』でも、本のコーナーで紹介していただきました(この番組、関東ローカル?)。紹介した松田さんは筑摩のかたですから、そういうのを見ると必ず、なんだ宣伝じゃねえか、みたいな青臭いことをいう人がいますけど、民放のテレビ局ってのは、基本的に宣伝のための媒体なんです。前にも書きましたが、山本夏彦の名言どおり、「世は広告」なんです。そのまんま知事が宣伝しまくったおかげで、宮崎県産品の売り上げが急増したことを見ても、わかるでしょう。

 スポーツ選手はよい成績を残すとファンがほめてくれるし、スランプだと手のひらを返すようにファンが離れていきます。でも、物書きって仕事は妙なもので、本がベストセラーになって結果を出すと、怒るファンがいるんですから、わけがわかりません。

 アマゾンのレビューなどを見ますと、なんだかんだいって、ひとはマンネリが好きなんだなあ、とわかります。『反社会学講座』のほうがよかったという意見がけっこうあるんですが、じゃあ、『反社会学講座』をけなしていた人たちは、『つっこみ力』をどう評価するんでしょうね。

 私は、無難な演技をする人より、4回転ジャンプに挑んで尻もちをつくような人を応援したいし、自分自身もそうありたいと思ってます。だから、つねに以前と違った味付けの作品を作ろうと努力するのですが、そうすると少なからず、それまでのファンを裏切る結果になってしまいます。

 かといって、ファンの顔色をうかがい、ファンが喜びそうなことだけをやり続けると、やっぱり、マンネリだと批判を受けてしまいます。全人類を満足させる作品は存在しえないので、これは物書きのみならず、ミュージシャンや映画監督、お笑い芸人など、すべての表現者が抱えている悩みでしょう。「正しさ」は過去の繰り返しにすぎません。新たなことに挑戦する勇気のない人間が、正しさをいいわけに使ってるんです。

 もちろん、新たな試みを支持してくれるファンのかたも大勢いらっしゃいます。『つっこみ力』を評価する声もたくさんいただきました。実際、支持してくれる人のほうが、ここんとこは、こうなんじゃないの、と補足情報をくれたり(いつも映画ネタについて教えてくれるWさん、ありがとう)、自分はここのところはこう思うが、どうだ、みたいな建設的な指摘をしてくださいます。やっぱり、批判・否定はなにも産まないという『つっこみ力』の主張は、「正しい」ようですね。

 先月のコラムでは、純粋な論理や議論にこだわる人たちが、世間においては、いかに役立たずであるかということを、かなり熱く語りましたけど、少しはわかってもらえたんでしょうかね。それでもまだ論理を神棚にあげて拝んでますか。ふうん。

 そういう論理バカのかたがたにおすすめの(もちろんそれ以外のかたにも)、とても面白い本が出てたので、紹介しておきましょう。香西秀信さんの『論より詭弁』(光文社新書)という本です。私は、論理的な正しさはほどほどにして、おもしろさを重視しようね、とやさしく語りかけてますが、香西さんは甘くないです。いきなり冒頭で、「論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である」「議論のルールなど、弱者の甘え以外の何ものでもない」。辻斬りですよ。出会い頭にバサーッ。

 なんとも痛快な本です。このかた、学者なのに世間のことをよくおわかりになってます。奥付けを見ますと、『つっこみ力』の半月ほど後に出たようですが、2刷りになってます。あまり紹介されてないようですが、なんだ、みなさんけっこうわかってらっしゃる。

 それにしてもね、正しい論理や正しい議論を薦める本を書く学者って、罪なことをしてますよ。学生さんがそんなもんを信じて社会に出たら、絶対痛い目に遭うのに。ああ、だからちかごろ、いったん就職しても、しっぽを巻いて大学院に逃げ帰るような若いのがたくさんいるんですかね。で、そういうのが学者になって、また同類を生産する、と。ああ、やだねえ、世間知らずの専門バカは。


●まっつぁん、必死です(2007.2.28)

 こんにちは。パオロ・マッツァリーノです。『つっこみ力』、おかげさまで大好評です。ご購入いただいたみなさんに、そして、販売にご協力いただいた書店のみなさまに、心より御礼申し上げます。書店で自分の本に手書きのポップがついてるのを見ると、本当に嬉しくなります。

 初版だけでもちくま新書としてはかなり多めに刷っていただいたのですが、発売2日で増刷決定、あれよあれよというまに(死語?)、4刷りまでいってしまいました。発売週には、三省堂書店、紀伊國屋書店、日販、ともに週間新書売り上げ6位にランクされておりました。ありがとうございます。やっぱり新書って買いやすいんですね。どうりで、出版社がこぞって新書市場に参入したがるはずです。

 企画から2年、必死で内容を練り、必死で書き上げました。版元もそれに応えてくれて、必死で宣伝活動をしてくださってます。朝日新聞2月10日付夕刊には、え、こんな大きく、と驚くほどの広告を打っていただきました。日経にも広告出たんですか? 私はまだ見てませんけど。

 私自身も発売後、足を棒にして大阪・名古屋の書店を必死に回り、売り場担当者のかたにごあいさつをしてまいりました。先日はラジオにも出演させていただき、慣れないトークを必死でしました。みんなが私にチャンスを投げ与えてくれてるんです。その期待に応えるためにも、必死にやらねば、人間失格です。

 みなさんはどうですか。最近、何かを必死にやりましたか――自分のため、他人のために。え、なんです? 必死にやったからって、報われるとはかぎらないからムダなことだ? ああもう、私が『反社会学講座』で、あれほど口を酸っぱくして、スーペー(スーパーペシミズム=超悲観主義)はいけないよ、といったのに、すっかりお忘れになってるかたが多いのには、がっかりです。

 ところでスーペーのみなさんにお願いがあります。ご自分のブログでなら、私の悪口をいくらお書きになってもかまいません。しかし、『つっこみ力』を誉めているブログを検索して見つけ出し、イチャモンのコメントで攻撃するという、見苦しいマネはやめていただけませんか。それとも、それがあなたがたの「必死」なんですか? ずいぶん幼稚な言論テロですね。

 『つっこみ力』は、『反社会学講座』で足りなかった処世術を加味した現実的な本なんです。この2冊はセットで意味を成すものだと考えてください。論理力やメディアリテラシーといった純粋思考は、現実の社会では、じつは役に立っていないことに着目し、それはなぜか、どうしたら現実の社会で、おのれの主張を世間にアピールし、世間と折り合いをつけられるのか、といったことを考え、そのヒントを提示しているのが『つっこみ力』です。世間に背を向け、世間を否定して、それであなた、どこで生きてくつもりですか。

 インセンティブのところはたしかに悪口を書いてます。でもね、私は、インセンティブ理論がそのあいまいさゆえに、なんにでも使える便利なレトリックに堕してしまった現状を指摘した上で、ムラムラ感と改名し、その使用をプラス面だけに限定すべきだ、という、とても建設的・現実的な提言をしてるんです。こんな前向きな悪口がありますか。しかもこれって、本来なら経済学者がやるべき仕事なのに、私がやってあげたんです。それすらわからないのなら、やはり経済学者は裸の王様です。

 どうも学問秀才のみなさんは、「知」の純粋さへのあこがれが強すぎるようです。現実の人間って、社会って、薄汚れたものですよ。『つっこみ力』の内容に矛盾がある? あたりまえじゃないですか。矛盾のない本、矛盾のない人間、社会、そんなもんはありませんよ。論理力やディベートみたいに矛盾を排除するのでなく、矛盾を抱えたまま社会をおもしろくしようというのが、『つっこみ力』の精神です。

 論理的であるというだけでは、誰も企画を通してくれないんです。自分がこれだ、と信じた企画を実現させるためには、嫌いな取引先にアタマ下げてまわったり、誇張したデータで企画書を飾り、これは売れまっせ、と上司をダマす方便も必要です。サラリーマンはみんな、それやってます。純粋な論理で世の中を動かせるなんて夢見てるのは、学者と学者志望の学生さんだけです。

 私が『反社会学講座』で目指したのは、異なる目線から見た常識を世間に投げ入れて、常識を増やすことでした。常識や正しさはたくさんあったほうが、選択の幅が広がり、世の中、楽しくなるからです。

 それなのに、どういうわけか、常識や正しさを学問的なものだけに絞って他人に強制しようとする、狂信的な人たちに支持されてしまいました。おのれの正しさが世間に受け入れられないことに憤慨し、知の世界に閉じこもって世間の無知を嗤うことで満足してる情けない人たちのためのバイブルとして祭り上げられてしまいました。

 では、そういう知的スーペーのみなさんにお聞きします。あなたの信じる「正しさ」は、社会を良くしましたか。社会をおもしろくしましたか。誰かをしあわせにしましたか。

 どれひとつとして実現できてませんよね。せいぜい、正しくない(とあなたが思う)ことを書いてるブログにケチをつけまくって、そこを閉鎖に追い込むくらいのことしかできませんよねえ、へっぽこ先生。

 『つっこみ力』を批判するかたの文章から共通して感じられるのは、怒りとおびえです。ただ、みなさん感情的、抽象的なダメ出しに終始してらっしゃる。いったい、何に怒ってるのか、何におびえてるのかを明らかにしてくれません。

 はて? この手の批判は、以前にも受けたことがあったような……そうでした、『反社会学講座』の少年犯罪は減っているというネタがネットで話題になったとき、反対派のかたがたが、まさにいまみなさんがやっているのと同じ、怒りとおびえに満ちた批判を投げつけてきました。それは、自分の信じる「正しさ」を揺さぶられた者が歌う恨み節。

 もし、本当に『つっこみ力』が無意味・無価値な本なら、これほど私を叩く声は上がらないはずです。てことは要するに、『つっこみ力』の言葉は、みなさんのノドの奥に、小骨のように突き刺さっているってことなんですね。

 正しい論理を啓蒙して民衆に教養を広めれば、いつか社会はよくなる、なぁんて盲信してた人たちにとっては、その方法論の限界とごまかしを指摘し、正しさなんてものはほどほどにしといて、おもしろさを重視せよ、という『つっこみ力』のメッセージは、想像以上のショックだったんでしょうかね。

 でも、世間の人たちを説得できないような「知」なんて、それこそ屁みたいなもんです。私は、『反社会学講座』の「失敗」を素直に認めて、『つっこみ力』で修正したんです。長くなるので、そのへんの話の続きは、御意見無用5で。


●『つっこみ力』いよいよ発売(2007.2.3)

 こんにちは。カキフライを食べると必ず口の中をヤケドして皮がべろんとむける、パオロ・マッツァリーノです。

 さあ、いよいよ発売が2月5日に迫りました、私の新刊『つっこみ力』でございます。おそらく、6日、7日には、全国の書店の店頭にお目見えしていることでしょう。税込みで735円と、お求めやすい価格ですので、懐具合に余裕のあるかたは、ぜひ一冊、お買い求めください。

 近年のムダにぶ厚いミステリー小説と異なり、長時間片手で持っても腕が疲れません。通勤通学の車内で、ティータイムのひとときに、退屈な講義の間の息抜きに(ただし、一部の社会学・経済学の先生は私の本を有害図書に指定しておりますので、見つからないようこっそりね)、半身浴・岩盤浴のお供にもどうぞ(防水加工はしておりません)

 新書だから、装丁はどうせみんな同じで地味だろう、なぁんて考えたあなた、見くびってもらっちゃ困ります。本のあちこちに、とことん趣向を凝らしてます。

 数メートル先からでも目立つこの帯を、とくとごらんください。ああっ、もしやこのイラストは! そうです。筑摩の担当者の粋なはからいで、吉田戦車さんのイラストが復活、しかも微妙にヒゲのあたりがバージョンアップ。

 「愛と勇気とお笑いと。」帯のコピーは私が考えました。というか、そもそも2年以上前、新書の執筆依頼を受けたとき、まったく内容が決まってないのに、つっこみ力――愛と勇気とお笑いと、というタイトルで書きますと約束してしまったんですね。タイトルとコピーが先行した企画だったんです。

 そして、ちくま新書は裏表紙に著者のプロフィールと顔写真が入ることになってるのですが――こちらがどうなっているかは、店頭で手にとってお確かめください。

 もしかしたら、型にはまった思考しかできないアタマの固い人が『反社会学講座』と『研究報告』を読まずにいきなり『つっこみ力』を読むと、なんだこのふざけたプロフィールは、とか、なんでいきなりコントや漫才が始まるんだ! とお怒りになって、教養系の新書でデタラメを書くべきでない、みたいなヤボな批評を書くかもしれません。デタラメじゃなくて、この本の存在自体が丸ごとエンターテインメントなんですけどね。これまでどおり、使ってるデータはすべて本物ですし。まあ、そういう的はずれな反応も含めて、楽しみにしてます。

 今回は大阪弁の漫才台本にもチャレンジしてみました。とはいっても、私は大阪弁の細かいニュアンスがわかりませんので、まずは、いとしこいしとかカウスボタンのようなベテラン漫才師のしゃべりをイメージして標準語で書き、それを関西出身のかたに翻訳してもらう方式をとりました。ただ、最終的には私が手を入れ調整しましたので、もし言葉の使いかたがヘンだとしたら、文責はすべて私にあります。

 初心者向け入門書のパロディもあります。よくあるでしょ、優等生の女子生徒とアホな男子生徒と博士が出てくる、会話形式の入門書が。そういうのって安易な作りのものが多くて腹が立つんです。「AはBである」という学問上の法則を説明するのに、「AはBなのじゃよ」「うわあ、そうなのかあ」とか言葉尻を変えてるだけで、ちっともわかりやすい説明にはなってないんです。そこで私が、趣向を凝らすとはどういうことなのか、見本をお見せします。他人の書いたものにつまらないとケチつけるだけなら誰でもできます。戯作者としては、実践で示さなければいけません。こちらも結果をご覧(ろう)じろ、ってことで。

 本文でも書いてますが、私はテーマなんてものは漠然としたものがあれば十分だと思ってます。『反社会学講座』では「学問とお笑いの融合」、『研究報告』では「フィクションとノンフィクションの垣根をとっぱらう」という方針で書き進めました。今回は前2冊をふまえ、「世の中を正しくするのでなく、おもしろくする」をおおざっぱなテーマとしております。『つっこみ力』はその意味で、『反社会学講座』から始まる3部作の集大成といっても過言ではありません。

 今回もうひとつ加えるなら、「学問はもうそろそろ人間に帰れ」ってことでしょうか。学者や評論家のみなさんは認めたくないでしょうけど、たぶんもう、論理の正しさを啓蒙し、教養を広めることで社会や人間のありかたを正すという、お勉強秀才が好む方法論は、限界に近づいてるんじゃないですか。かといって、論理か情かの二者択一ってのも、極端でいただけない。その落としどころが「おもしろさ」なんです。これからの時代は、正しいだけじゃダメなんです。おもしろくなければね。

 とにかく、頭から尾っぽまで、うがった見方で趣向をこらしてなんでも茶化す、江戸の戯作者精神を貫いて、でも、人の心も決して忘れぬ、そんなぜいたくな本でございます。愛と勇気とお笑いと。『つっこみ力』をどうぞひとつ、よろしくお願いいたします。

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