『歴史の「普通」ってなんですか?』著者解説


ベスト新書
税別800円
2018年10月発売


 今回は新書ということもあり、当初の企画では、「伝統の検証」というテーマで短めのネタ10本くらいで、『「昔はよかった」病』みたいな感じにまとめようと思ってました。
 2017年の秋口には3分の1くらいできてたのですが、その後、個人的な事情で長らく執筆できなくなりました。その間に伝統というテーマに飽きてしまいまして。伝統なる概念は空虚な共同幻想であり、歴史的に見れば、ちょっと長めの流行にすぎないことがわかっちゃったんです。
 その代わり、保育や教育の伝統に関して調べるのにハマってしまい、分量もふくらんだので、今回は伝統という看板を外し、『歴史の「普通」ってなんですか?』というタイトルで行くことになりました。
 本の帯にもあるように、

 保育園がうるさい! 建設反対!(昭和51年)
 マニキュアしてるから、漬け物なんて作れなーい。(昭和13年)
 祝日に国旗を掲揚する慣例はありません。(警視庁・大正9年)
 生まれつきの茶髪を黒く染めろと先生に言われた。(昭和40年)

 などなど、みなさんが忘れてしまった、身近な歴史の意外な事実を発掘しました。
 私が歴史にこだわる理由。それは、いま起きている社会現象や社会問題のほとんどは、いまはじまったものではないからです。問題の根が50年、100年前にあるというのに、それを無視していまだけを見るから、「戦後日本人はダメになった」みたいなデタラメな俗論を信じてしまうのです。まちがった認識にもとづいて、まちがった治療法を広めるヤブ医者ならぬヤブ学者・ヤブ評論家に惑わされないためにも、過去の歴史をありのままに見てください。


第1章 保育園と共働きはなぜ憎まれるのか?

 今回いちばんの目玉です。これまでだれも教えてくれなかった、保育園と共働きの迫害の歴史。
 元の原稿では第3章だったのですが、これを冒頭に持ってこようという編集者の提案に乗りました。私もこれをぜひ、できれば日本人全員に読んでもらって、あらためて日本庶民の近現代とはなんだったのかを、考えていただきたいので。
 最近も保育園の建設反対運動が話題になりましたけど、40年前には、都内ほとんどの区で、反対運動が起きてました。いまはむしろ少なくなったくらいです。
 保育士(保母)は60年前から低賃金重労働で離職者が多かったし、自治体が無認可保育所を支援する予算を組むと地方議員が妨害したりと、大正・昭和の日本人は、保育園と共働き夫婦を、執拗なまでに差別・迫害してきたのです。まさにヘイトとしかいいようがない実態を調べれば調べるほど、知れば知るほど、怒りをおぼえました。
 いま保育問題の対応が後手に回ってるのは、1970年代までの失敗の歴史とその教訓が、80年代のバブル期にすっかり忘れられ、リセットされてしまったからなんです。だから90年代に問題が再燃したときに、またゼロからはじめるはめになりました。


第2章 こどもに優しくなかった日本人

 第1章で保育の歴史を調べる過程で集まった、むかしの日本人のこども観に関する史料のなかから、いまの常識とかなり異なる部分をまとめました。スピンオフのような短い章ですが、かなりインパクトの強いネタばかりです。
 人類がこどもを大事にするようになったのはわりと最近だというのは、教育学の世界ではすでに常識です。古代中国の『論語』は、親や年長者を大事にしろと口うるさくいうけれど、こどもを大事にしろとは、ひとこともいってませんし。
 江戸時代の日本では、赤んぼうの間引きや捨て子が頻繁に行われてました。
 大正・戦前昭和の新聞には、赤んぼうを売ります・買いますという個人広告が、毎日のように出てました。
 江戸時代は捨て子も多かったけど、武士も庶民も気軽に養子をとってました。まさに、捨てる神あれば拾う神あり、だったのですが、血縁を重視するようになった明治以降の日本では、養子縁組があまり行われなくなり、孤児が救われるチャンスが減りました。
 家族や親子のありかたについて、常識にとらわれず考え直すヒントにしていただければ、さいわいです。


第3章 輝け! 日本の伝統
第4章 伝統、春のフェイク祭り

 ある日のテレビニュースで、「人口減により、この村で28年前から続く伝統の祭りが今年は中止になりました」なんてマジメにレポートしてるのを聞き、笑っちゃいました。たったの28年で伝統なの? 数百年続いた祭りをやめるなら、伝統が失われてしまう……と感傷的にもなりますけど、28年前からってことは、バブルのころに浮かれてはじめた祭りでしょ。たいしてありがたくもない伝統ですよね。
 日本人は、なにかに権威付けをしたいとき、「伝統」というおおげさな冠をかぶせてるだけって感じがします。たいした根拠も、明確な基準もないままに。
 そもそも伝統という言葉自体が、西洋言語からの翻訳語だとわかれば、伝統という概念もかなり新しいものだとわかるはずです。
 大正時代の日本人は未来志向で、読売新聞記事に「過去の伝統の塵よりも、輝ける現在に生きる」なんてフレーズも見られたほどでした。
 それが1930年代になると、日本中のあちらこちらで伝統が輝きはじめました。この奇っ怪な超常現象はなんだったのか? 歴史ミステリーのナゾが解き明かされます。


第5章 頭髪100年戦争――茶髪・長髪・パーマ

 明治時代に茶髪にした日本人がいました。大正時代の美術学校では、校長が予告もなしに男子学生の長髪禁止をいい渡し、学生たちが猛反発してました。
 日本ではむかしから、若者と年長者のあいだで頭髪をめぐる紛争があったのです。それは戦後の教育界にも引き継がれました。なぜ日本人は、体罰などの過激な手段を用いてまで、若者のヘアスタイルと髪の色をすべて同じにしたがるのか。不思議でなりません。
 そのくせ、日本のアニメに出てくる日本人キャラは、赤だの青だの、いろんな髪の色をしてるのですよ。で、それをクールジャパンとかいって海外にアピールしてる一方で、国内の日本人学生には黒髪にすることを強制してるんだから、全然クールじゃないよねえ。


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