『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』ライナーノーツ
(文庫版は『誰も調べなかった日本文化史』と改題)

※文庫版は章の順番が一部異なります。内容はほぼ一緒です。

第1章「全裸のゆくえ」
 朝日新聞と読売新聞は以前から過去記事のデータベース化を進めてきました。1、2年くらい前ですか、ついに両紙とも、明治時代からの全記事のデータ化が完了したんです。といってもオンライン検索は企業・大学・図書館向けの高額なサービスでしか利用できません。個人向けの検索サービスは、1980年代中盤以降の記事だけが対象となってます。
 せっかく貴重な資料が登場したのだから使わない手はありません。パオロだったら、こういう切り口から検索して、こんなおもしろいハナシにまとめますぜ、むかしの新聞はこんなにおもしろく読めますよ、と活用術のお手本を逆に新聞社のみなさんに教えるくらいの意気込みで書き上げたのが本書です。
 で、まっ先に検索してみたワードが、「全裸」。
 とはいえ、やはり新聞記事だけでは、単なる事件の羅列に終わってしまい芸がない。そこでいつものように、雑誌記事や書籍も使い、話をより深く掘り下げました。日本史といいつつ、海外のネタも平気で紹介してますけど、苦情は受け付けません。日本を知るには外国との比較も必要です。あとに行くほど日本色がどんどん濃くなるから、ご心配なく。
 当初は、このくらいの長さのネタで続けていこうと思ったのですが、案の定、調べ出すと止まらなくなり、あとに行くほどひとつの章がどんどん長くなってしまいました。この点に関しても、苦情もデモも不買運動も受け付けません。

第2章「部屋と開襟シャツと私」
 『13歳からの反社会学』に収まりきれなかったネタを軸に、去年(2010年)の夏に書き上げました。節電が叫ばれた今年の夏前に本が出せれば、話題性としては最高のタイミングだったはずですが……。
 元祖クールビズは、昭和初期に半袖開襟シャツが発明されたとき、民間主導ではじまっていたのです。考えてみれば、温暖化やヒートアイランドが起こる前から、日本の夏は高温多湿だったんです。その気候のもと、背広にネクタイを強要され満員電車に揺られてきた日本人サラリーマンの何世代にもわたる苦難や怨念を考えれば、クールビズこそが正義です。クールビズはダサい・失礼なんていってるヤツは、他人の痛みがわからないサディスト。

第3章「絶えないものは、なんですか」
 笑顔の絶えない家庭を作りたいです! 芸能人の結婚会見で近年必ず耳にする定番のセリフ。なんかヘンだと思ってませんでした? もやもやしてたでしょう。私もなんですよ。本章を読めば、もやもやの正体がすっきり明らかに。

第4章「名前をつけてやる」
 最近のこどもの名付けは異常すぎる、とお怒りのみなさん。日本人の名付けが異常なのは平安・鎌倉時代からの伝統です。源頼朝は素直に読んだら「タノアサ」か「ライチョー」でしょ。「よりとも」なんて読みかたは、当時からすでにDQNだったんです。
 1920年から現在まで、日本とアメリカの人気の新生児名トップテンがどれだけ入れ替わってきたかを比較することで、いかに日本人が目新しい名前をこどもにつけたがるかが証明されました。そして事態は意外な結末へ……?

第5章「先生と呼ばないで」
 ○○先生にはげましのおたよりを出そう! ってマンガ雑誌ではおなじみのフレーズ、いつ、どの雑誌からはじまったか、ご存じですか? だれも教えてくれなかったから調べました。日本にはマンガが好きな人がたくさんいて、プロアマ問わず評論活動も盛んだけど、そういう具体的なマンガ文化を研究してる人は、とても少ないんです。
 時代劇を見てたら、寺子屋で読み書きを教えてる人が「先生」と呼ばれてました。これ、時代考証のまちがいです。寺子屋で教えてた人は「師匠」です。ついでにいうと、江戸の文献で医者を先生と呼んでるものも私は知りません。
 さらについでに、議員を先生と呼ぶようになったのは戦後になってからだ、とする意外な説があるのです。その真偽や、いかに。

第6章「東京の牛」
 馬に関する雑学本はたくさんあります。おそらく、競馬ファンから馬そのものへと興味が広がっていくのでしょう。それにひきかえ、牛の雑学本はとても少ない。焼肉ファンが牛に興味を持ったり……はしないみたいです。
 昭和30年代くらいまでは、東京の街にも普通に牛が歩いてました。クルマが普及するまでは、重い荷物は荷車に載せて牛にひかせてたんです。戦前の新聞には、渋谷の宮益坂を牛が暴走、とか港区・三田あたりのカフェに暴れ牛が飛び込んだ、なんて記事が載ってます。江戸時代には、牛に荷車ひかせてる連中が交通ルールを守らなかったため事故が頻発。激怒した幕府の役人が「不届きである、不届きである」と御触書を連発してました。そんな、東京の牛の話。

第7章「疑惑のニオイ」
 牛つながりで、牛乳の話。以前から私は、日本の牛乳のクサさに不満を持ってました。でも低温殺菌牛乳は臭みがなくておいしいのです。が、なぜかその意見を「個人の好みだ」と片づけて隠蔽しようとする勢力が存在します。
 今回、日本の牛乳の歴史を徹底的に洗い直してみたところ、意外な事実がたくさん浮かび上がりました。たとえば、昭和初期の食品偽装事件をきっかけに、昭和26年ごろまでは、日本では低温殺菌牛乳が主流だったという事実。また、戦後の日本で超高温殺菌法が導入されたのは、衛生状態が悪くて生乳に雑菌が多かったから、という定説にも文化史のメスを入れ再検証します。さらに牛乳のニオイの正体にも、科学的に迫ります。

第8章「つゆだくの誠意と土下座カジュアル」
 みんながスマートフォンを持ち歩くほどに科学文明が発達したいまでも、日本人はなにかあるたびに、「土下座してあやまれ!」と旧態依然とした謝罪を相手に求めるのです。
 そのわりに、日本人は土下座の歴史やマナーをあまりに知らなさすぎます。たとえば、大名行列が通るとき、庶民はどうやって土下座していたかわかります? どうやるもこうやるも、土下座のやりかたは水戸黄門でやってるやつだろ? いいえ。全然ちがうんです。もし江戸時代式の土下座で謝罪されたら、現代人は「ふざけんな!」と怒るでしょう。明治時代の土下座もいまとはかなり違う意味で使われてました。土下座のような小さいことでも、おろそかにせず歴史をひもとけば、驚きの連続が待っています。
 そして、日本人はいつから釈明会見が好きになったのかも探ります。そのきっかけとなったのは、じつはあの人だった……!?

第9章「戦前の一面広告」
 戦前の朝日と読売は、第一面がすべて広告でした。記事はひとつもなかったんです。一面広告を時代の節目ごとに概観していくと、明治・大正・昭和の現代庶民文化史が見えてきます。旅順陥落記念大売り出し。幸田露伴が出した個人広告。朝日の第一面を買い切って、どでかい一社広告を最初に出した企業とは。銃砲店のファンキーな広告。やせ薬の広告合戦。謎のウーロン茶広告。自画自賛がエスカレートしていく雑誌広告の宣伝コピー。広告は、庶民の欲望を映す鏡です。

第10章「たとえ何度この世界が滅びようと、僕はきみを離しはしない」
 2000年以降、雑誌では亡国論ブームが巻き起こっているという事実は、日経トレンディ編集部も掴んでないのでは。日本が滅びるみたいな悲観的な記事や亡国論記事が、新世紀に入って激増しているのです。
 明治以来、亡国論を唱える者はひっきりなしに登場してきました。「このままでは日本は滅びる!」でも待てよ。日本はこれまで何回滅びましたか? そうなんです。結果的にこれまで唱えられた亡国論は、すべてまちがっていたのです。
 そんな間違いだらけの亡国論をたくさん掲載してる雑誌はなにか。滅びる滅びる滅びるぞというおおげさな脅し記事をたくさん寄稿してる悲観論者ベスト6も調べちゃいました。イッヒッヒ。イジワルだ? 失敬な。きちんと調査した上での結果なんですから、これはれっきとしたアカデミズム、ジャーナリズムですよ。ウヒヒ。

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