第23回
末は博士か叙勲者か
〜PART2・賞より素敵な商売はない〜

お知らせ

 この回の内容は、『続・反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●勲章は年寄りのベストフレンド

 どうも。パオロ・マッツァリーノです。近頃、韓国ドラマファンのみなさんからは、パオ様と呼ばれ親しまれています。講師や物書きなんて儲からない仕事には見切りをつけて、ここらで社長にでもなって一旗揚げてやろうと画策する今日この頃。私のビジネス脳とやさしさあふれる笑顔を活かすなら、やはり客商売でしょう。そこで飲食店の最新トレンドを探るため、日本一おしゃれなお店が立ち並ぶという、東京は代官山近辺を視察して来ました。そこで目についたのは、ペットの犬と一緒に食事ができるカフェやレストランでした。なるほど。さっそく、日韓親善も兼ねまして、代官山に本場韓国犬鍋料理の店をオープンすることに決めました。もちろん、あなたのかわいいワンちゃんもご一緒にお食事ができます。店員一同、爽やかな笑顔でお待ちしております。(アルバイト急募 資格:笑顔の素敵な18歳以上の男女。 職種:ホール・キッチン・野犬捕獲)

 さて、そうなると心配なことがあります。この商売が当たって億万長者になり、老後に勲章をもらうことになったらどうしよう……なんですか? 前々回の講義で、賞を辞退したツッパリ文化人を兄貴と慕っていたことを忘れたわけではありませんよ。そりゃたしかにいまは勲章など欲しくありません。でも今回いろいろと調べるにつれ、わかったのです。若いうちはみなさん、勲章なんかいらないとおっしゃいます。しかしどうやら人間、老い先短くなってくると考えが変わるらしいのです。

 例えば、作家の永井荷風も、若い頃は勲章をバカにするような発言をしていたのですが、いざ文化勲章の受章が決まると、大喜びしました。終生無宗教無位無冠を誇りにしていた言論界の大物、下村海南も、危篤になったとき勲章をもらうと、苦しい息の下から「勲章を見せてくれ」と頼んだといいます。

 日本では戦後しばらくの間、生きてるうちに勲章を贈ることが禁じられていました(文化勲章を除く)。そのため勲章は死後に授与されるものだったのですが、昭和39年から生存者に対する叙勲が復活しました。当時まだ40代だった中曽根康弘さんは、生存者への叙勲には反対の姿勢をとっていました。昭和38年11月3日付朝日新聞に、生存者叙勲復活が閣議決定されたあとのコメントが載っています。

「……戦前の勲章の復活などは、いまの憲法にふさわしくない。第一、いまどき勲章をもらったって、いつ、どんな服につけるのかね」と皮肉たっぷりだ。

 その中曽根さんが80歳を目前にして、大勲位菊花大綬賞という上から2番目に偉い勲章をもらったことが、なによりの皮肉です。

 人間誰しも老年期には孤独になります。仕事も引退させられ、家族も離ればなれ、友人は一人二人と墓の下。そんな孤独な老人に残された楽しみといえば、勲章を磨きながら過去の栄光を振り返るくらいのことだけです。「ダイヤモンドは女の子の親友(ベストフレンド)なの」と歌ったのはマリリン・モンローですが、勲章はお年寄りのベストフレンドです。


●電力の鬼と勲章の鬼

 昭和39年、戦後歴代総理が果たせなかった生存者叙勲復活をやっとのことで成し遂げた、ときの総理大臣池田勇人は、戦後最初の栄誉ある叙勲者の選考作業を進めていました。彼が白羽の矢を立てたうちの一人が、”電力の鬼”と呼ばれた松永安左エ門でした。戦後日本の電力事業復興に力を尽くした松永の業績は、たしかに戦後初の叙勲にふさわしいものであり、誰も異議を差し挟む余地はないはずでした。

 それでも一応形式上、叙勲に際しては、候補者の経歴・業績を記した調書を本人から提出してもらい、審査をすることとされています。過去の犯罪歴など、叙勲にふさわしくない要素の有無が事細かにチェックされます。ですからもし、みなさんが日頃から不愉快に思っているジジイ――社長・校長・理事長など――が叙勲の候補になったようだ、といううわさをキャッチしたら、腹いせに「叙勲候補者の○○が会長を務める会社では、サービス残業をやらせて労働基準法に違反してますよ」などとチクって叙勲候補から脱落させてやるというゲリラ作戦をお試しください。ただし叙勲の候補者には、決定するまで絶対周囲に漏らさぬよう箝口令が敷かれますので、作戦の成否はあなたの情報収集能力にかかっています。

 それはともかく、池田は料亭で会食をしたときに松永に、審査に必要な功績調書を早く提出してくれと催促しました。すると松永は、「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか」と怒って帰ってしまいました。誰もが疑わなかった松永の叙勲に、誰あろう松永本人が異議を唱えたのです。困った池田は、同席していた鉄鋼業界の大物、永野重雄に松永の説得を依頼しました。後日永野は松永のもとに向かい、説得を試みます。

「あなたが受けないと、生存者叙勲制度の発足が遅れて、勲章をもらいたくてたまらない人たちに、迷惑がかかりますよ。それに、あなたはどうせ老い先が短い。死ねばいやでも勲章を贈られる。それなら生きているうちにもらったほうが、人助けにもなりますよ」

 凄い説得です。いえ、説得というよりほとんど悪口に聞こえます。本人を目の前にして、あんたもうすぐ死ぬんだからもらっときなよ、ですからね。それに、勲章が欲しくてたまらない人たちに迷惑がかかる、という説得の論理にも非常に興味深いものがあります。これは日本人特有の論理だからです。電車などで騒ぐこどもを叱るとき母親が、「ほら、おじちゃんたちに怒られるわよ、静かにしましょうね」と第三者の視線を意識させてしつけるのは、日本以外の国ではあまり見られない行動です。そしてまた不思議なことに、この殺し文句が効くんですね。結局、松永安左エ門は叙勲を承諾します。ただし最後の最後でツッパリ根性を見せ、授与式には欠席しました。

 ――と、いう話だけを聞くと、永野重雄という人がいかにも俗物っぽく思えてしまうかもしれません。永野は、松下幸之助の勲一等叙勲に際しても奔走していますし、晩年は自分の叙勲に相当執着しました。勲章制度に批判的な本などでは悪役にされるのも仕方のないところです。

 しかし、ここで奇妙な事実を指摘しておきましょう。松永安左エ門の生涯を取り上げた伝記の類は(一冊に何人もの人物を紹介しているものも含めると)20冊以上あります。今回私は比較的刊行年の新しい数冊にしか目を通せなかったのですが、そのどれひとつとしてこの叙勲辞退騒動に触れていないのです。晩年まで女遊びはお盛んだった、みたいな逸話は紹介するのに、叙勲辞退の話は無視。私には、松永氏の人柄を表現する上で絶対に落とせないエピソードだと思えるのですが、どうやら日本では、勲章を辞退することだけでなく、そのことを活字にして勲章制度の価値をおとしめる行為も、タブーとみなされているようです。

 だいたい、経済界の大物の伝記を好んで読むのは、現役の社長さんや重役さんたちなのです。ですからこの手の伝記は、そういった読者層に好まれるような話題に絞って書かれます。老いてもなお下半身は元気、というのは、性欲あふれる社長さんにとってはあこがれの的です。でも、勲章を辞退することは、名誉欲あふれる社長さんにとっては、目を背けたい事実です。そこで伝記作家も、読者を不愉快にさせるようなネタは自粛します。

 ではいったいこの叙勲辞退騒動のネタ本は何かといいますと、『永野重雄 わが財界人生』という自伝なのです。プロの作家が書かないタブーを、永野氏本人があっけらかんと披露しているのです。例の失礼な説得のセリフも、この本から引用したものです。こうなると、評価は変わります。なるほど、永野重雄は勲章なんてものにこだわる俗物だったかもしれません。でも、俗物と陰口をたたかれそうなことまでべらべらしゃべってしまうオープンな態度に、どこか陽気なラテンの血を感じます。松永安左エ門がとんでもなく無礼なことをいわれても怒らなかったのは、永野のキャラクターによるところが大きかったのかもしれません。


●勲章を辞退するとどうなるか

 ところで、これは推測の域を出ませんが、松永安左エ門が勲章を辞退したのは、福沢諭吉の影響かと思われます。福沢諭吉に心酔していた松永は、慶應義塾に学び、直接諭吉の薫陶を受けているのです。福沢諭吉もじつは勲章を辞退したことで有名です。『福翁自伝』の一節にはこうあります(原文を一部現代語表記に変更)

……車屋は車をひき、豆腐屋は豆腐をこしらえて書生[注・学生のこと]は書を読むというのは人間当たり前の仕事としているのだ、その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければならぬ……

 諭吉は日清戦争のときに国に1万円寄付したのですが、それが叙勲の対象になるらしいと知らされたときも、「ごめんこうむる、国の大事に国民が力を貸すのは当然だ」と断っています。この逸話もまた、福沢諭吉の伝記類ではあまりお目にかかれません。よっぽど日本の伝記作家は、勲章辞退の話を書くのが嫌いなんですね。

 明治大正期の勲章辞退者としては、森鴎外や原敬も有名ですが、いずれも遺言による死後叙勲の辞退であり、生前からはねつけたのは諭吉くらいでしょう。諭吉は若い頃と晩年とで思想が異なる変節漢だ、との指摘もあるようですが、逆に一生涯思想に変化がない人というのも、知能レベルが停滞している可能性が高いので、一概にほめられたものではありません。ともあれ「ツッパることが男の勲章」は、福沢諭吉を称える言葉だといっても過言ではないでしょう。

 それにしても、遺言で固辞しておかないかぎり、死ぬと強制的に勲章を与えられて国家の功労者に祭り上げられてしまうのですから、偉くなるのもツラいものです。前回の最後に話しそびれた夏目漱石の博士号辞退事件にも、似たような面があったので、ここで紹介しておきましょう。

 流行作家の夏目なんぞに文学博士号はやれない、とわかりやすいジェラシーで推薦を拒んでいた博士会の面々が、漱石が重病で死にかけてると耳にするや、一転して博士に推薦しました。どうやらそれで漱石はヘソを曲げたらしく、博士号を辞退します。すると授与する立場の文部省は、学位を辞退する方法は法律で定められていない。よって、学位を発令した時点であんたはすでに博士になっており、取り消すことはできない――と賞をあげる側の都合とメンツしか考えていないヘリクツで突っぱねます。いつだったか、議員が受け取る経費は多すぎるとの批判を受けて、ある議員が、余分な経費を返上したいと申し出たところ、返上の規定はないから返上できない、という理屈で却下されたと報じられていたように記憶しています。官吏の論理は明治以降現在まで変化がないままです。

 ちなみに、勲章は返上の規定がちゃんとあるので、もらったあとで気に入らなければ返上することが可能です。また、褫奪(ちだつ)といって、受章後に罪を犯して死刑・懲役・3年以上の禁錮に処せられると、勲章を強制的に剥奪される規定もあります。

 勲章を辞退したいなら、叙勲の内示を受けた時点、つまり候補者であるうちにしないといけません。ただし辞退すると辞退者名簿に載せられ、以降3年間、叙勲の推薦を受けられなくなります。ブラックリスト入りです。

 もし、辞退者名簿の作成締め切り後に気が変わって辞退しようものなら、ブラックリストどころか、非国民扱いされます。総理府(現在は内閣府)賞勲局監修の『栄典事務の手引』には、賞勲局総務課長が各省庁の栄典担当課長に宛てた通達(平成6年)が収録されています。

……当該名簿作成後の辞退の取扱いは、事務的にきわめて困難であり、殊に閣議決定、裁可後の辞退は国事行為の取消しとなり……このようなことのないように特に厳重に注意すること。

 国事行為の取消しはいけないというのはつまり、勲章を授けるのは天皇陛下の役目なので、それをドタキャンするなどとんでもない、という意味です。なんともおおげさな理由をつけていますが、ホントは単に、賞勲局の人たちが余計な事務処理をしたくないってだけなんじゃないの、という気もします。といいますのは、1994年10月、大江健三郎さんの突然のノーベル文学賞受賞の報を受け、文化勲章の授与を急遽決めたという例があるからです(結局大江さんは辞退)。10月中旬のことでしたから、11月の授与式に向けて、すでにほとんどの事務処理が終わっていたはずです。突然の授与だって国事行為の変更に当たりますし、「事務的にきわめて困難」なはずなのに、ノーベル賞に先を越された、というプライドの問題だけで、ドタキャンならぬドタギブを決めたのですから、政府やお役人のやることは気まぐれです。


●もっとも危険な叙勲者祝賀会

 社員のためのマナー本は、大きめの書店なら棚を一段占領するくらいに充実しています。しかし犬鍋チェーンで全国制覇を目指す私に必要なのは、社長のためのマナー本です。探したところ、発見しました。『実用社長の冠婚葬祭12ヵ月』。これは類書が少ないだけに貴重です。おそらく全国の現役社長さんも身を乗り出したことでしょう。ただ残念なのは、発行が昭和47年で、すでに絶版だというところです。

 つくづく、残念です。この本、じつにおもしろいのですから。昭和47年といいますと、戦後高度経済成長の終末期、最後の絶頂に当たります。高度成長期の社長たちの生態と行動規範を知る上での貴重な資料として、価値のある一冊です。ぜひ、どこかの文庫で復刊してもらいたいくらいです。

 この中に、叙勲・受賞のお祝いの仕方も載っています。昭和39年の生存者叙勲復活からたった8年で、叙勲が結婚式や葬式と並んでマナー本で取り上げられるほどありふれたこととなっていたのです。とはいえ、叙勲の対象者といえば、相談役など一線を退いた高齢者が普通です。この本は現役社長向けですから、もっぱら祝う側の心構えを説きます。

 なかでも、祝賀会での祝辞の内容についての考察が秀逸です。というのも、勲章には等級があります(現在は数字による等級は廃止されています)。祝賀会には、すでに勲章を持っている年寄りも来賓として招待されている可能性があり、そういった人たちは、自分と他の叙勲者との等級の上下に、異常なほど敏感に反応するものなのです。

 祝賀会の主役である受章者をあまり大袈裟にほめると、もっと上の勲章を持つ来賓の失笑を買います。かといって「氏の業績に対して四等は不当に低い」などといってしまうと、同等の勲章をもってる来賓に対して失礼に当たるのです。この辺の機微はわかりづらいのですが、要するに、「ワシの祝賀会のときは、そんなこといわなかったじゃないか。ワシの業績はせいぜい四等が関の山だといいたいのか」などと絡んでくる困ったジジイがいるので注意せよ、という意味です。名誉欲にこだわる人間というのは、なんとも扱いにくいものです。そこでこの本では、祝賀会は立食パーティー形式にして、面倒な祝辞をカットしろ、とアドバイスします。至れり尽くせりの実践的実用書です。

 この他にも、社長としての世間とのつきあい方が実践的に解説されていますので、ついでですから紹介しておきましょう。たとえば、会社が公害を出した場合はどう対応するか。――積極的に周辺住民に啓蒙活動を行えば、「一口に公害絶滅などと簡単にいえないものだと承知してもらえるはずである」。

 やはり高度成長期は夢のような時代でした。公害を出しても謝罪などする必要がなかったのです。企業が公害を出したって、それは日本経済発展のための代償、必要悪なのだから、近所の貧乏人がつべこべいうほうがおかしい、という理屈が通る時代だったのです。なにかというと記者会見開いて報道陣の前でぺこぺこ頭を下げなければならない、いまどきの社長さんからしたら、うらやましいかぎりです。

 もし公害問題で株主総会が紛糾しそうになっても、あわてず騒がず、本書のアドバイスに従いましょう。議事を進行させるためには「やむを得ず特殊株主を頼むことにもなる」。総会屋さんを呼べばいいのです。書名に「実用」とあるのはダテではありません。残念ながらこれは現在では使えない手法になってしまいましたが、当時はこれで周辺住民も泣き寝入り間違いなし。

 いまでこそ、企業と政治家の癒着は非難されますが、当時は癒着することがマナーです。選挙で当確速報が出たら、すぐに駆けつけ、

……丁寧に腰を折るよりも「やあ、おめでとう」と肩をたたくほうがよい。格別親しくなくてもである。……記名帳が出ていたら、大きい字で署名し、万才(ばんざい)の声もかすれるようになったら、もう一度肩でもたたいて、失敬をして帰ってくる。

 いくら当選祝いの席とはいえ、格別親しくもないオッサンがやってきて肩をたたかれたら薄気味が悪いだろう、などと気をつかってはいけません。これもすべて癒着のための第一歩です。さらにこの本では踏み込んで、親善ゴルフ大会や小唄おさらい会、そして代議士・県会議員・弁護士などを招いた懇談会のマナーまで解説しています。権力者とつるんで甘い汁をたっぷり吸えるその日まで、精進あるのみです。


●勲章は年金改革の最後の切り札

 さて、そろそろ勲章の話に戻りましょう。内閣府が全国の有識者を対象に実施した栄典制度に関するアンケート(平成13年)には、今後、どの分野の人に勲章をもっとあげるべきかという質問があります。民間人にもっとあげるべきだ、と答えたのは民間人がもっとも多く、公務員は公務員にあげるべきだと答え、議員はもっと議員にあげるべきだ、と答えています。これをまとめると要するに、「オレにくれ」ということです。

 なぜ誰もが勲章を欲しがるのでしょうか。『勲章の内幕』の著者大薗友和さんは、政治家や財界人というものは、ドロドロした修羅場をくぐり抜けて地位を築くものだから、勲章で過去を清めたいのだろう、と「みそぎ説」を唱えています。政治家や財界人に限れば非常に説得力のある説ですが、じゃあ公務員が勲章を欲しがるのはどういうわけか、という疑問には答えられません。

 平成13年春の叙勲者で見ますと、民間人は34%、政治家8%、公務員が50%という構成です。当然公務員の中には、学校の教師や役所の人たちもたくさん含まれます。そういう人たちもまた、勲章を欲しがっているのです。もし彼らに、みそぎを必要とするような過去があったとしたら、勲章で称えるのは矛盾です。業者からワイロをもらっていた元役人や、教え子にいたずらしていた元校長の罪の意識が叙勲で清らかになるというのは納得できません。

 叙勲対象の問題としては、そもそも政治家に勲章をやる必要があるのかという意見もあります。平成12〜13年にわたって行われた「栄典制度の在り方に関する懇談会」の最終回に登場した小泉総理も「政治家多過ぎますね、国会議員が」と発言しています。政治家は国家や公共に対し貢献したのだから叙勲は当然、といいますが、貢献したくて自分から立候補してなるのが政治家です。本人が好きでやってるわけでして、なり手がいないからイヤイヤ引き受けたという例はわずかです。

 それに日本では、政治家は世間並みかそれ以上の報酬を得ています。特に地方議会議員の報酬は、国際的な水準と比べると非常に高額です。自治体国際化協会の調査によると、イギリスやドイツにおける地方議会の議員は、きちんとした仕事と収入のある人が名誉職として引き受けるものであり、報酬は期待できないのだそうです。イギリスの地方議会議員の報酬は、日本円にして年間100万円程度、議長などの役職についた場合でも250万円です。ドイツにいたっては基本は無報酬で、議員活動によって本職の収入に損失を受けた場合の補償金や、少額の議会出席手当が支払われるだけです。日本の地方議員は、報酬に加えて諸経費やら公費による視察旅行やら議員年金やら、特典が盛りだくさんなのですから、そのぶん働くのは当然で、それを貢献と威張るのはお門違いです。

 ところで現在、毎年の叙勲者数は春秋それぞれ約4500人、合わせて年間約9000人と決められています(勲章よりランクが下の褒章は年間約1600人)。この数は昭和62年秋から据え置かれたままです。でもご承知のように、現在日本では、年寄りの数が激増しています。そのため、勲章を欲しくて欲しくてたまらないのに、もらえない人も増えているのです。叙勲対象年齢は原則70歳からとされているので、今後、70歳以上・賞なしの負け犬老人が大量に出現します。

 これは重大な社会問題を引き起こしかねません。第2回講義で明らかにしたように、現在60歳前後の人間は凶暴性を内に秘めている可能性が高いので、このままだと10年後、70歳になった彼らが、勲章欲しさに暴力行為に走ることが懸念されます。そうなったらいっそのこと、勲章が欲しい年寄りを無人島に集めて、最後に生き残った一人に与えるというバトルロワイアル方式の導入を検討することをおすすめします(映画化の際は、私にも原案料をいただければさいわいです)

 残念ながら、内閣府が私の提案を採用する可能性は低そうなので、現実には、受章者数増加の方向で検討されるはずです。内閣府の資料では、年間9000人という日本の叙勲者数は、欧州各国に比べれば人口比からしても少ないくらいであると、暗に受章者枠の拡大を示唆する報告をしています。でも、これは前提となる数字に疑問があります。日本の内閣府は、イギリスでは毎年1万2千人が受章するといってますが、先ほどイギリス内閣府のサイトを確認したら、イギリスの叙勲者は年間3000人とありました。資料のどこかに間違いがあるのか、それとも統計マジックの新ネタなのでしょうか。

 叙勲者数を増やすのはけっこうですが、気になるのは勲章にかかる費用です。だいぶ前のことですが、昭和53年に伊達宗克さんが勲章の製造コストを調べています。最高位の大勲位菊花章頸飾は231万5990円もしますが、これはごくまれにしか授与されない特殊なものです。通常授与されるものとしては、文化勲章が21万580円、勲一等旭日大綬章が17万2950円、勲六等瑞宝章が15260円で、この年の製造コストは総額で1億6千万円だったとのこと。

 勲章の製造は造幣局の担当ですが、製造にかかる予算は内閣府持ちとなっています。国の一般会計予算を調べたところ、どうやら内閣府の「褒賞品製造費」という項目が、勲章の予算に当たるようです。そこで昭和53年度の予算額を調べてみると、4億6千万円。伊達さんの試算よりずいぶん水増しされているように見えるのは、たぶん私の眼精疲労のせいでしょう。え、みなさんにも多く見えますか。では、毎年の予算額の推移を見ると、おや、コンタクト合わなくなったのかな、とさらに目を疑うことになるはずです。

褒賞品製造費予算

 ここで思い出していただきたいのは、叙勲者の数は昭和62(1987)年秋から変化がないという事実です。それなのに、なぜか褒賞品製造費は年々ふくれあがり、2003年には29億6千万円にものぼりました。

 この事実を目の当たりにすれば、怒れる若者たちは「そんなにカネがかかるのなら勲章なんてやめちまえ」と主張するでしょう。しかし、ここはひとつ気を静めて、私の画期的な改革案にお耳をお貸しください。じつは30億円という額は、国家予算全体からすればたいした支出ではありません。しかも現在、勲章には年金が付随しないので、一度あげてしまえば、後腐れがないのです。文化勲章には年金が付く、と誤解しているかたもいるようですが、あれは「文化功労者」に選ばれたことで支払われる年金です。文化勲章の候補者は、文化功労者の中から選ばれるので、そういう誤解が生じるのです。

 あげればみんな、涙を流してありがたがるのですから、費用対効果を考えれば勲章は安いものです。ですから、これを利用しない手はありません。褒章のひとつに、紺綬褒章というものがあります。これは、公益のために500万円以上寄付した人に対して贈られるものです。この制度を参考に、勲章の積極的な活用を検討しましょう。ずばり、年金の受け取りを放棄した年寄りに、勲章をあげるのです。

 年金制度が危機に瀕していると騒がれるわりには、政府の改革案はどこか及び腰です。私は第19回の講義で、1億円以上の資産を持つ金持ち老人には年金受け取りを放棄してもらうことで、年金制度は存続可能だとする抜本改革案を提示しました。しかしそれだと、長年払ったのにもらえないのは納得いかん、とケチな老人の反発を食らうのも必至です。そこで、社長などのお金持ちが、のどから手が出るほど欲しい勲章の出番です。

 毎年約1万人に勲章・褒賞をあげると、その費用が30億円かかります。では、仮に1万人の金持ち老人に年金を放棄してもらい、それを称えて勲章を贈るとしましょう。現在、厚生年金受給者は平均すると年間200万円ほど年金をもらっています。1万人分なら総額200億円。それが勲章なら、たったの30億円で済むのです。昔から商売の鉄則としていわれているではありませんか。「損して得取れ」と。ええい、こうなったら1万人なんてケチなこといわないで、100万人にあげてしまいましょう。そうすれば差額分の1兆7千億円、年金資金を節約できるのです。勲章は、年金改革の最後の切り札です。


今回のまとめ

  • 年を取ると、だれでも勲章が欲しくなるようです。
  • 日本の伝記作家にとって、勲章辞退のエピソードを書くのはタブーです。
  • 福沢諭吉は、ツッパることは男の勲章と思っていたかもしれません。
  • 勲章を辞退するとブラックリスト入りです。
  • 高度成長期の社長はしあわせでした。
  • 70歳以上・賞なしの老人は負け犬です。
  • 年金の代わりに勲章をあげれば、年金制度は救われます。
  • 犬鍋料理店のアルバイト募集は締め切りました。

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