第21回
賞マスト・ゴー・オン
〜ツッパることは勲章か〜

お知らせ

 この回の内容は、『続・反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●賞はあげる側のためにある

 第130回芥川賞は、19・20歳という非常に若い女性が受賞して話題になりました。直木賞は作品の出来だけでなく、作家の力量や功績を評価する賞なので、キャリアのない若い人が獲ることはまずありません。芥川賞は作品に対して与えられるものですから、若い人がいきなり受賞する可能性も高く、驚くには値しません。

 ところで、その受賞者の一人、金原ひとみさんは、受賞直後に次のようにコメントしたそうです。「芥川賞はいつかは取りたい自分の夢だった」

 そうですか。欲しかったんですか。これが私にはちょっと意外でした。音楽業界では、新人賞や、紅白出場などを辞退する若い人たちの例が目立っていますので、いまどきの若い人たちは賞などの権威には興味がないのかなと思っておりました。そこへ、このコメントです。もっとも、金原さんが周囲の大人に気を遣い、優等生っぽい返答をしたのだという可能性も否めませんが。

 最近の若者は無礼で気配りがない、なんて決めつけは事実無根であり、昔の若者だっていまの若者顔負けの無礼ぶりを発揮していたことは、第9回の講義ですでにお伝えしました。日本には「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。無礼な大人の周囲には、無礼フェロモンを嗅ぎつけた無礼な若者が、自然と寄り集まってくるのでしょう。その証拠に、私の周囲には無礼な若者は一人もおりません。

 とはいえ、生意気をいうのも若さの特権です。生意気をいって疎まれながら、図々しく会社に居続けたのが、現在の中高年です。最近の若者は、生意気いって上と衝突するとすぐ辞めてしまうそうですが、それではいけません。こればかりはおじさんたちを見習って、もっとふてぶてしく生きましょう。

 さて、今回は結論を先にいってしまいます。みなさんは、賞をもらうことが名誉だと思ってはいませんか。それは間違いではありませんが、真実は別のところにあります。賞は、あげるほうがもっと名誉なことなのです。賞は、もらう側のためでなく、あげる側のためにあるのです。


●賞とプレゼントの違い

 岸田秀さんは『嫉妬の時代』で、芸能記事を「嫉妬」というキーワードで見事に読み解きました。たしかに芸能記事やニュースは、嫉妬・見栄・打算など、人間の灰色の部分が溶け出した坩堝(るつぼ)であり、とても興味深いものです。

 芸能ニュースを見ていますと、「○○が似合う有名人」みたいなわけのわからない賞の贈呈式がしょっちゅう行われていることがわかります。そういった賞の贈呈式では、いまが旬の芸能人やら文化人やらを集めて、たぶん何かの業界の偉い人であろうジイサンから賞状などが手渡されます。おそらくそのジイサンは後日、孫に自慢します。
「こないだ、おじいちゃんな、浜崎あゆみに賞あげたんだぞ」
「えー、おじいちゃん、すごーい」
「すごいだろう。で、浜崎あゆみって、何やってる人だ?」
 みたいなアットホームな会話が繰り広げられているのでしょう。このお偉いさんにとって、浜崎さんが何をやってるかはまったく重要ではありません。重要なのは、浜崎さんが世間の注目を集める非常に有名な人であるという、その一点です。

 通常のプレゼントと賞は、まったくその性格が異なります。例えばファンが有名人にプレゼントをあげるときは、「受け取ってください」と下から上へ渡す図式になりますし、自分のほうから持参するか、送料自分持ちで送りつけるかする必要があります。サンタクロースだって、自らそりに乗って世界中のこどもたちにプレゼントを届けます。

 ところが賞の場合には、「賞をくれてやるぞ」という、上から下への図式が成り立ちます。その上、贈呈式をやるから取りに来い、と相手を呼びつけることすら可能です。サンタクロースが「やあ、こどもたち。プレゼントやるから北極まで取りにおいで。旅費は自腹でね」なんていったら、世界中からブーイングの嵐です。それなのに、賞にかぎってはそれが許されるのです。なんという傲慢。ただならぬ無礼。

 それに、賞をもらうには奮闘努力して業績をあげなければならないのに、賞をあげる側にはなんの努力も(芸能人を呼ぶ際のギャラすらも)要らない点にも注目です。賞をあげる側は、受賞者の偉業にちゃっかり便乗して、贈呈式の舞台で並んで立ち、セレブのおこぼれにあずかれます。偉い人に賞をあげるのだから、自分はもっと偉い人になれます。しかもこれだけ偉そうにしておいて、受賞者は頭を下げて感謝してくれます。

 こんなに手軽で便利で費用もかからず名誉欲を満たせるシステムが、他にあるでしょうか。そうです、賞は、あげる側の名誉心と虚栄心を満足させるために、続けられねばならないのです。


●増え続ける賞

 ようし、やっぱり賞なんて辞退しちゃえ! 腹黒い大人が恩着せがましく寄こす賞なんてお断りだ! ツッパることがたったひとつの勲章だ! と、拳を突き上げたみなさん、まあ落ち着いてください。そうはいっても、賞の辞退をすることは思ったほど容易ではありません。当たり前のことですが、まずは、受賞に値するなんらかの業績をあげることが先決です。なんの業績もない人が「オレは賞なんていらねえ」といきがっても物笑いのタネにされるだけです。

 ところで日本にはどれくらいの賞があるのでしょうか。すべてを把握するのは困難ですが、主要な賞なら日外アソシエーツが発行している分野別の賞事典に掲載されています。その最新版によると、以下の通り。
文化賞328
文学賞454
音楽・芸能賞330
科学賞715
美術・デザイン賞321

 たいていの賞は毎年授与されます。さらに、各賞で受賞者が複数選ばれることも珍しくありませんので、最低でも毎年2000〜3000人の人が賞をもらう栄誉に浴していることになります。廃止される賞もありますが、一方で、毎年何十個もの賞が新設されているので、全体としては賞は常に増える傾向にあります。『文化賞事典』は1989年に発行されたのち、96・03年と改訂されているのですが、そのたびに掲載される賞の数も261→302→328と増えています。

 賞事典をめくりますと、当然ですが、聞いたこともない賞がほとんどです。
「胃と腸賞」 雑誌『胃と腸』に掲載された医学論文から選ばれます(現在は、村上記念「胃と腸」賞に改称)
「とべとべ賞」 演劇評論家の戸部銀作さんが創設した賞で、歌舞伎の脇役に贈られる賞です。第1回は、市川猿之助さんの宙乗りを支えた市川寿猿さんが受賞しています。宙乗りだから、とべとべ……? とだれもが思ったようですが、第2回は飛んでない別の人に贈られています。
「関根賞」 マニアックなモノマネをした芸人に与えられる……というのはウソです。平安時代の文学・日本語研究で業績のあった女性研究者が対象です。この他にも、人の名前が冠された賞が非常に多いのですが、その話はまたのちほど。

 ともあれ、狭い日本にこれだけ多くの賞がひしめいていることに圧倒されます。これではむしろ、賞をもらうな、というほうが無理な話です。中でもとりわけ多いのが科学賞。理系の賞は各研究分野ごとに細かく用意されているので数も多いのです。ということは、理系のみなさんは受賞のチャンスが多いのですから、将来の授賞式に備えてタキシードやドレスをあつらえておくのがいいかもしれません。もっとも、ツッパって辞退するなら話はべつですが。


●アメリカン・ツッパリスター列伝

 では、そのありがたい賞を辞退するとどうなるのでしょうか。賞を辞退することが勲章になるのか、はたまた十字架になるのか、検証していきましょう。

 最近は音楽関係で賞などの辞退者が目立つ、といいました。ポピュラー音楽の世界では、年末の紅白歌合戦出場も賞と同様の価値があります。賞や紅白の辞退者がいる裏では、彼らに対する非難もかなりあります。ごく最近の例をひとつ、芸能記事から拾い上げてみました。

歴史ある音楽賞を軒並み辞退するのはどういう考えなんですかね。(音楽関係者)

レコード会社も……泣かされているようです。受賞したことをマスコミが取り上げれば、いい宣伝になるし、その方がCDの売り上げも伸びるのに……(音楽担当記者)

芸能界で生き延びるには周囲の期待に沿い、流れに乗ることも大切だ。マスコミを敵に回し、自分の我を通すだけでは、“一発屋”で終わる可能性大だ。

 歌謡曲の賞は、古いものでもたかだか30〜40年続いてるだけです。歴史ある、と威張るほどのものではありません。商店街の八百屋だってもっと長く営業を続けてるところがたくさんあります。それに、流れに乗らず賞を辞退することが、なぜマスコミを敵に回す行為なのかも、納得いきません。むしろ、人をさんざん担ぎ上げて流れに乗せたあげく、人気にかげりが見えた途端にドブに捨ててしまうのは、芸能マスコミの得意技なのですから、流れに乗るのをためらう芸能人がいるのも無理はありません。

 この例だけからも、賞の権威に背を向けてツッパることが、賞関係者のみならず業界全体からも多大な反発を招くことがおわかりでしょう。名の通った賞にノミネートされることすらなく一生を終えるほとんどの一般人にとっては、賞をもらえるだけでもうらやましいのに、さらにその賞を蹴るなどというカッコイイことをしてごらんなさい、ねたみの炎に焼き尽くされるハメになります。

 ノーベル芸能賞というのはありませんから、芸能関係の賞の世界最高峰は、アカデミー賞だといっても過言ではありません。ただでさえ賞の権威に弱い日本人ですから、世界的な賞にノミネートされたともなれば、上を下への大騒ぎになります。そのアカデミー賞も、ジョージ・C・スコットは辞退しました。プロデューサーが代理で受賞したものの、要らんものは要らんと翌日突っ返しました。これぞツッパリです。ヤンキーの中のヤンキーだぜ、スコットの兄貴。

 辞退者よりも多いのは、授賞式の欠席者です。派手な席が苦手、というキャサリン・ヘップバーン姉貴。やまとなでしこだぜ(アメリカ人ですけど)。マーロン・ブランド兄貴は、ハリウッド映画が昔からインディアンを悪者として描いてきたことに抗議して、インディアンの扮装をした女性を代理として授賞式に送り込みました。皮肉が効いてるぜ。ウディ・アレン兄貴は「その日はバンドのライブだから」と欠席し、ニューヨークのジャズクラブでクラリネットを吹いていました。見た目はパシリっぽいけど、男は中身だぜ。

 これが日本なら、賞のノミネートを蹴った、授賞式に来なかったともなれば、主催者側のメンツを潰した不敬罪により、二度とその賞とは縁がなくなることでしょう。しかしアメリカ人には案外寛容な面があり、欠席者にも賞をくれるし、辞退後もノミネートされるのです(さすがにマーロン・ブランド兄貴の皮肉は効きすぎたようで、以降アカデミー賞からは遠ざかってしまいました)。アカデミー会員が感情に左右されることなく、演技や作品の質を評価して投票しているのであれば、本来の賞のあり方を貫いていることになります。アスホールの小さい日本の賞関係者は見習うべきでしょう。


●文学賞とベストセラー

 中高生の頃に文学に目覚めた日本人は、たいてい一度は太宰治にカブレるものですから、太宰が創設当時の芥川賞獲得に異常な執念を燃やした逸話は、いまさらお教えするまでもないでしょう。結局受賞できなかったのですが、それは推薦者の佐藤春夫が裏切ったせいだ、と太宰は『創生期』でほのめかしました。佐藤はそれに反論するために『芥川賞(のちに『或る文学青年像』に改題)』を書きました。どちらかというと、佐藤のいい分が的を射ているようです。

 芥川賞の当選せぬ候補になった事は彼にとっては決して彼の名誉ではなく、重大な不名誉でもあったと見える。……当選はせずとも候補になることによって……幾分満足して置いていいというのが常人の考え方であろうが、太宰は……候補になったのを人前へ恥をかかされるために引っぱり出されたように感じているかも知れない。

 人間の虚栄心・プライドとは複雑なものです。候補になって受賞できないのは赤っ恥だ、だったら候補にすらならないほうがましだ、と考える人も少なからずいるのです。そこでふと思ったのですが、プライドの高い人は格闘家にはなれないんですね。観客の前で一度ノックダウンされただけで、「もうイヤだ、こんな恥をかくなんて耐えられない。これならリングに上がらないほうがマシだ!」なんてすねているようでは格闘家として失格ですから。太宰は格闘技には向かなかったようです。まあ、余計なお世話ですが。

 太宰も、芥川賞を獲れば小説が売れると期待していたフシがありますので、次は賞をビジネスの観点から見てみましょう。受賞したことをマスコミが取り上げれば宣伝になるし、売り上げも伸びるのに――というのにも、一理あります。賞が宣伝の一形態であることは確かです。そもそも芥川賞と直木賞だって、文藝春秋の社主であった菊池寛が、本の売り上げを伸ばすために始めたような賞だったのですから。菊池寛という人はもともとは小説家ですが、出版ビジネスの世界でも並々ならぬ才能を発揮した人でした。

 ただ、塩澤実信さんの『定本ベストセラー昭和史』などの資料から判断すると、菊池の期待を満足させるほど文学賞が小説の売り上げに貢献したかどうかは疑わしいのです。昭和10年、第1回芥川賞の石川達三『蒼氓』は当時ベストセラーになりましたが、その後は長らく不発。昭和31年に石原慎太郎さんの『太陽の季節』がベストセラーになってようやく、文学青年以外の一般の人たちが芥川賞へ目を向けるようになりました。

 意外なことですが、大衆文学が対象である直木賞のほうが、ベストセラーとは縁のない時代が長く、不遇をかこっていたのです。年間ベストセラートップ10に最初に滑り込んだ直木賞作品は、昭和38年の佐藤得二『女のいくさ』でしたが、これはまぐれ当たり。それから約20年の歳月が流れ、昭和56年に青島幸男さんの『人間万事塞翁が丙午』がベストセラーになったことからやっと「直木賞受賞」がベストセラー入りへのパスポートとなる時代がやってきました。


●善意の権威のいやらしさ

 さて、その芥川・直木賞にも辞退者はいました。最近では横山秀夫さんが、直木賞のノミネートを辞退すると宣言した模様です。主催者側はどうするのでしょう。アカデミー賞のように、当人が辞退すれども作品に価値があれば推していくのか、はたまた、なつかぬ犬にはエサはやらぬのか。両者の意地と名誉とプライドを賭けた今後の動向が見物です。

 両賞ともに、受賞が決まってから辞退したツッパリ野郎が一人ずついます。昭和15年芥川賞の高木卓と、昭和18年直木賞の山本周五郎です。とりわけ高木卓の辞退は、当時の文壇を揺るがす事件だった――と、伝えられているのですが、これは文学関係者の誇張です。戦前は芥川・直木賞ともに、さほど一般の人の興味を惹く対象ではなかったようです。当時の新聞では、「芥川賞は該当者なし」と一言で片づけられています。もっとも、戦争へ向かう時局柄、小説ごときにうつつを抜かしてなどいられなかったのも一因でしょう。

 高木の辞退を受けて文藝春秋に掲載されたという、菊池寛の怒りのコメントが興味深いので紹介しましょう(木村久邇典『山本周五郎 馬込時代』より引用、一部表記をひらがなに変更)

……芥川賞などは、受賞が内定した以上その受くる名誉は同じで、アトは賞金だけの問題である。辞退して謙譲の徳を発揮したつもりでも……世間的には辞退したのでさらに効果的になったのと同じである。
こんなものは素直に受けてくれないと、審査するものは迷惑である。

 作家は職業柄、人間心理の洞察力に長けているはずですが、我が身を客観的に見ることだけは難しいようで、菊池寛も的はずれなことをいってます。高木卓と、この3年後の山本周五郎は、謙譲の徳を発揮して賞を辞退したのではありません。ただ単に、菊池寛が嫌いだっただけです。

 芥川・直木賞ともに審査委員はいましたが、当時は菊池の一存、鶴の一声で受賞者が決まっていたのが実情だったと伝えられています。賞の権威を笠に着て文壇を支配する菊池寛を快く思わない者にとっては、そんなヤツがくれる賞など誰がありがたがるものか、と突っぱねるのは当然の行為です。ツッパリ用語でいえば、「スジが通ってる」。特に山本周五郎は、以前、菊池に作品を酷評されたことを恨んでいたのでなおさらです。そんな傍目(はため)には明らかなことが菊池本人は理解できず、「はは〜ん、やつらは辞退することで逆に注目を集めて名を売ろうとしているのだな」なんて邪推しているところが滑稽です。しかも、審査するほうが迷惑だ、とあくまで自分の側の名誉と面子にこだわるところにも、賞を贈る側の傲慢さがよく現れています。

 現在でも、人の名前が冠された賞がたくさんあります。優れた業績を残した教授が定年で退任したり、亡くなったりした際に、その人の名前を賞にするケースが多いからです。しかし菊池寛は現役ばりばりのときに菊池寛賞を創設しています。自己顕示欲の固まりみたいな人です。

 反対に、山本周五郎は徹底して名を売ることを拒否したへそ曲がりとして有名です。直木賞も、菊池の怒りを買って干されることを覚悟の上で辞退しましたし、それだけでなく生涯にわたってすべての賞を辞退しました。自分の作品の映画化なども好ましく思わず、雑誌に作品を掲載する際には「映画・演劇・TV化謝絶」とわざわざ書いていたという徹底したツッパリぶりでした。

 と、こうしたいきさつは出版関係者ならみなさんご存じのはずなのに、あろうことか山本の死後、「山本周五郎賞」が創られたのです。あれほど賞を嫌った人なのですから、ましてや自分の名前がついた賞の創設など、故人の遺志に反することは明らかです。

 賞を贈る側には「われわれは善意で賞を贈っているのだ、善意を喜ばない人などいるはずがない」という無邪気な自負があります。善意も権威になりうることも、そうした権威のいやらしさも、彼らには永久に理解できません。例えていうなら、故人が、立派な墓はいらない、と遺言したのに、ピラミッドを建てるような仕打ちを善意だといい張るようなものです。

 まことに恐るべきは、賞の権威。そして授与と受賞をめぐる虚栄心のせめぎ合い。まさに浮世は虚栄の市。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。ツッパることも楽じゃない。本当に、ツッパることは勲章たり得るのでしょうか。ということで賞権力とツッパリ辞退者の対決、決着は次回に持ち越しです。


今回のまとめ

  • 賞は、あげる側の名誉心と虚栄心を満足させるためにあります。
  • 賞の授与は、努力をせずに少しの費用で偉くなれる夢のような手段です。
  • 日本の芸能マスコミは、賞の権威に絶大な信頼を寄せています。
  • 軽薄に見えるハリウッドスターにも、骨のある兄貴・姉貴はいます。
  • ノミネートされて受賞できないことを赤っ恥だと考える人もいます。
  • 善意の人々は、賞の権威のいやらしさを一生理解できません。

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