第2回
キレやすいのは誰だ

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で大幅に加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●少年の凶悪犯罪は本当に増えているのか

 まずは次のグラフをご覧ください。

平成の少年凶悪犯罪

 私はこのグラフを新聞、雑誌、テレビなどで何十回となく見た記憶があります。おそらくみなさんもそうでしょう。

 カウンセラーという職業の人が書いた、少年非行についての本にも掲載されていました。これみよがしに、冒頭にこの統計グラフを掲げ、凶悪な少年犯罪の急増を示唆します。当然、読者は不安な気持ちでいっぱいになります。「そうよねえ、毎日のようにマスコミでは事件が報道されているし、やっぱり統計で裏づけられてるのね。ところで、うちの子は大丈夫かしら。最近ピアスの穴なんか開けたし、家に帰ってもちっとも話もしないし。不安だわ……」

 こうなれば、しめたものです。読者はページをめくらずにはいられません。そして、著者がいかに長年カウンセラーとして少年たちと向き合い、非行を見事に解決してきたかを知ることになるのです。親御さんは、このカウンセラーに相談することを決意し、カウンセリング業務は大繁盛です。

 前回、マッチポンプという言葉に触れましたが、まさにこの本はそのやり方を実践しています。ガンの恐怖を説いたあとにガン保険を勧めたり、ダニの脅威を説明したあと布団の丸洗いを勧めるなど、セールスのテクニックとしては古典的な部類に属します。しかしいまや、カウンセラー業務という比較的新しい業種でさえ、このような営業活動が必要とされていることに、私は驚きを隠せません。この不景気の時代、カウンセラーの人たちも、家のローンやこどもの教育費を捻出するのに四苦八苦しているのです。

 ところでみなさんは、このグラフの左側がどうなってるのか気になりませんか。私はとても気になります。だって、平成2年に比べ、元年の件数が200件ほど多いじゃありませんか。戦後から昭和が終わるまでの少年犯罪は、どうなっていたのでしょうか。でも、このグラフの左側を目にした人は、ほとんどいないのが実状です。なぜでしょう。

 少年犯罪の資料として、マスコミのみなさんは、警察庁発行の『警察白書』を参考にしているのです。ところで「白書」って、ちょっと淫靡な響きがありますね。『痴漢白書』『女教師白書』『新人婦警白書』。後ろに白書とつくだけで、ロマンポルノかVシネマのタイトルみたいです。

 くだらない話はさておき、この『警察白書』には、過去10年の資料しか載っていないのです。それ以前は時効ということでしょう。それ以前のことを調べるには、法務省発行の『犯罪白書』を使います。こちらには、戦後から現在までにわたる資料が掲載されています。たいていの図書館には二冊とも揃ってるはずなのに、なぜマスコミのみなさんは『犯罪白書』を無視するのでしょう。その理由をあきらかにするのが、今回の講義のテーマなのです。

 謎解きをじらすようで恐縮ですが、その前に、みなさんがもうひとつ疑問に感じていることがあるはずです。いったい、「凶悪犯罪」とは何を指していうのか。ここでも警察庁と法務省の見解は別れます。警察庁が殺人・強盗・強姦・放火の四つと規定しているのに対し、法務省は殺人・強盗の二種だけだといいます。法務省の定義だと、ひとり暮らしのお嬢さんが強姦された上にアパートを燃やされて路頭に迷っても、命が助かればそれでよしということになります。プラス思考ですね。警察庁は、強姦されて殺されて金品を奪われ家を燃やされても、10年たったら忘れなさいといいます。前向きですね。そこで本講座では両者の意見を折衷し、戦後から現在までの法務省の資料のうち、殺人・強盗・強姦・放火を合わせた件数を取り上げることにします。


●戦後最悪凶悪少年決定戦、略して凶−1グランプリ

 1965年の初版以来ずっと版を重ねるロングセラー、懸田克躬『病的性格』には、少年非行についての一節があります。

 戦後の社会の秩序が回復するとともに静まってゆくものと思い、かつ願っていたのに、昭和二十六年をピークとして次第に低下するように見えた少年非行は、昭和三十年ごろからは、再び上昇しはじめ、今日では年ごとに増えてゆくようにみえている。
 ……犯罪行為はだんだん悪質化し……先日の新聞紙上には、小学生らしい強盗の記事が載ったが、その後、中学生の強盗事件を報道する記事が大きく目を射た。高校生の年ごろの若者たちの事件は、連日のようにといってもよいほどである。

 昭和39年の記述です。それなのに、このデジャブーな気分はなに? まるで昨日の朝刊の社説か、週刊誌の先週号の辛口コラムを読んでいるかのようです。ヘンですね。少年の凶悪犯罪は、近年になって急増したはずではなかったのでしょうか。マスコミはみな、そう騒いでいるのに。

 それではもったいぶらずに、このへんで、戦後から現在までの少年凶悪犯罪件数をグラフで見ていただくことにしましょう。

戦後の少年凶悪犯罪

 非常に興味深いグラフが登場しました。初めて目にされて、愕然とした人も少なくないはずです。

 注目点はいろいろあります。昭和23年の強盗件数は戦後最高の3878件。これは戦後の混乱期だったことを示します。当時の17歳は、教育勅語による学校教育を受けています。近年、教育勅語の有用性を訴える老人がいらっしゃいますが、なんの効果もないことが証明されました。人間、食うのに困れば、盗みを働くのです。道徳教育を強化したところで、犯罪の抑止効果は期待できません。

 強盗には昭和35年にも、もうひとつのピークがあります。『病的性格』の記述どおり、戦後の混乱期を脱してなお、不思議なことに少年による強盗事件は増えていました。ということは、そもそも「戦後の混乱期だから犯罪が多かった」という説明が、的を射たものなのかどうか。疑問は残ります。

 さらに気になるのは、昭和33年から数年間の強姦件数の多さです。このころの少年の下半身に何があったのか定かではありません。しかし、一年間に4500件以上という数字は、尋常ではありません。これまた近年、有害図書の規制を強化しようとする動きがあります。ですが、このグラフからは、ヘアヌード写真集もアダルトビデオもなかった時代のほうが、少年は性犯罪に走りやすかったという事実が読みとれます。むしろポルノは安全弁であるとの見方が有力でしょう。水門は常に開放しておくのがよさそうです。

 殺人は他の犯罪に比べ少なく(多かったら大変ですが)、このグラフでは見づらいので、別に抜き出してみましょう。

殺人

 これはもう、一目瞭然。おおまかにいって、昭和40年代を境に、少年の凶悪度には著しい差があります。それに昭和50年代以降、統計上問題になるほどの目立った変化はありません。たった一、二件の残虐な殺人事件を、マスコミが大袈裟に騒ぎ立てることで、いかに大衆に誤ったイメージを植えつけることが可能か。情報操作の恐ろしさを、まざまざと見せつけられます。

 それでは強盗・殺人・強姦・放火の四種をすべて合計したグラフをお見せします。

四種混合

 じつは、今回しょっぱなでご覧にいれたグラフは、これの右端10年分だけを拡大したものだったのです。呆れてものもいえません。こんな子供だましのトリックを使って、マスコミは、いまの少年たちが凶悪であるかのように臭わせ、大衆をダマしていたのです。

 最も少なかった平成2年と、最も多かった昭和35年では、件数の差は6.9倍にものぼります。というわけで、本日ここに戦後最もキレやすかった少年が決定致しました。グランプリは昭和35年の17歳、つまり昭和18年生まれで西暦2001年現在58歳の方々です。おめでとうございます。

 ついでにいわせていただくと、テレビゲームでこどもがキレるというのもウソだとわかりました。昭和30年代には素晴らしく高性能なゲーム機など、存在しなかったはずです。食べ物をキレる原因とするのも無理があります。だったら、当時の給食でおなじみのクジラ肉や揚げパンは、ファーストフードより遙かに危険な食品だという結論になってしまいます。

 ここで反論の声が聞こえてきました。「いまは、こどもの数が少なくなったから、犯罪件数も減ったのだ。」そんな負け惜しみの声に応えまして、次の資料を提出致します。

15〜19歳の人口

 国勢調査のデータを元に作成したグラフです。昭和35年のほうが、平成2年より、62万人ほど少年人口は少なかったのです。平成2年には、少年の8381人に一人が凶悪犯罪者でしたが、昭和35年は1142人に一人でした。残念ながら犯罪発生率は35年のほうがずっと高かったとの結果になってしまいます。やぶへびでしたね。

 少年法は昭和24年からすでに施行されていました。したがって昭和35年当時、凶悪犯罪を犯してつかまった少年たちは、たとえ無期懲役の判決が下されたにしても、7年後には仮出獄の対象となり、社会に復帰していたのです。その凶悪な少年たちもいまや、会社では管理職になっている年齢です。当然、マスコミ各社でも。これでもう、おわかりのことと思います。マスコミのお偉方は、自分たちの世代の凶暴さを隠すために、過去のデータを故意に伏せていたわけです。

 JR東日本の調べによると、平成11年度、駅員に暴力をふるって警察ざたにまでなった乗客は、50代が最も多かったそうです。こんな危険なオトナたちを野放しにしておいていいものでしょうか。少年法改正論議の前に、50代後半の心の闇をなんとかしたほうがよさそうです。


今回のまとめ

  • 少年犯罪が近年急増したというのは、マスコミが捏造した世論です。
  • 戦後最もキレやすかったのは、昭和35年の17歳です。
  • 50代後半の人間の増加は、社会に重大な影響を及ぼします。

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