第17回
スーペー少子化論争
〜PART1・スーペーさんが語る少子化の神話〜

お知らせ

 この回の内容は、『反社会学講座』(ちくま文庫版)で加筆修正されています。引用などをする際は、できるだけ文庫版を参照してください。

●スーペーさんとローマ帝国少子滅亡説

歴史とは起こった出来事ではない。歴史とは歴史家がわれわれに語る話にすぎない。
――ジュリアン・バーンズ『10 1/2章で書かれた世界の歴史』

 いえいえ、歴史家だけではありません。こどもの数が少々減ったことを「少子化問題」と名づけて過剰に騒ぎ立てている超悲観主義者のみなさんも、実際に起こったかどうか確証のない歴史をわれわれに語ってくれます。彼らの好きな歴史小話は、「ローマ帝国は少子化が原因で滅んだ」というものです。

 悲観主義者というのは、ひきょうなんです。悪いことが起こるぞぉ、さあ困った大変だ、と警鐘を鳴らしておけば、もし実際に悪い結果になった場合、「ホラ、いわんこっちゃない」と自分の先見の明を鼻にかけることができます。予想に反してよい結果に落ち着いたら、「いやあ、杞憂だったねえ。でもまあ、備えあれば憂いなしともいうでしょ。私の警告もムダではなかったよね」と前向き思考でちゃっかりと喜びを分かちあおうとします。どっちに転んでも自分が傷つくことはありません。

 ところが楽観主義者は、そうはいきません。良い結果になればみんな喜んでくれるのですが、もしも悪い結果が出た場合、ウソつき呼ばわりされ、クソミソに叩かれます。つまり、楽観主義者は自分の意見に責任を負わざるをえないのですが、悲観主義者は常に逃げ道を確保しているズルい人たちなのです。フリーターもパラサイトシングルもひきこもりも不登校もみんないいじゃんと発言する私は、しばしば無責任だと非難されます。しかし私は自説のよりどころとなる資料やデータを示しています。本当に無責任なのは、根拠もなしに悲観論をたれ流す人たちのほうです。腹立たしいので、超悲観主義者をスーパーペシミスト、略してスーペーと呼んで蔑んでやることに決めました。

 さて、少子化を憂うスーペーさんたちの理屈はこうです。ローマ帝国は少子化が原因で滅んだ→日本は凄い勢いで少子化が進んでいる→日本は滅びる。あまりにも鮮やかなスーペー三段論法です。世の雑学ファンもすっかりトリコになってしまったようで、少子化が話題にのぼると、たいてい誰かがこの話を始めます。

 ローマ帝国少子滅亡説の元締めは、木村尚三郎さんだとする説と、堺屋太一さんだとする説がありますが、はっきりしません。元締めかどうかはともかく、堺屋さんはこの説をあちこちで書いていたようで、私も読んだおぼえがあります。ただし、堺屋さんはどちらかといえば、少子化を前向きにとらえています。スーペーではない、とお断りしておきます。

 この少子滅亡説の根拠はといえば、ローマ帝国の五賢帝が、たまたま5人ともこどもがいなかったという事実、それだけなのです。そこから一挙にローマ帝国の滅亡まで話がふくらみます。壮大な歴史ロマンです。でも、ローマ帝国の出生率についての資料はどこにも存在しないのですから、なんともうさんくさいロマンです。

 ということで、やはりローマ人といえばこの人、塩野七生さんの著書で確認しましょう。塩野さんの『パクス・ロマーナ ローマ人の物語VI』によると、紀元前1世紀末、ローマでは指導者階級の間で少子化が起こっていたとのこと。一般市民は普通に子を産んでいたようです。

 そこで、少子化対策のための法が制定されました。指導者階級に属する25〜60歳の男と20〜50歳の女は、結婚していなければなりません。さもないと、税制面で不利になります。また、女にかぎっては、結婚してこどもを3人産むまでは資産から上がる収益の1%を税金として納めねばならなかったのです。

 子を産み育てることで国家に奉仕しなかったのだから、つまり義務を果たさなかったのだから、私有財産の保護というローマ法の基本である権利も、もはや享受する資格なしということか。

 と塩野さんは書いています。でもなんだか、ローマの為政者みたいな意見を口にする人は、現代の日本にもいるような気がします。子育てをしている人は苦労しているのに、子を産まない独身者は優雅に遊びほうけている。ヤツらは日本を滅ぼすろくでなしだから、独身税を取ってこらしめろ、と。

 では、結論を申しましょう。少子化がローマ帝国滅亡の一因だった可能性はゼロではありませんが、まともに取り上げる価値のないヨタ話です。その一方で、過激な少子化対策を断行したにもかかわらず、ローマ帝国は滅亡してしまいました。こちらは歴史的事実です。つまり、スーペーさんたちのお気に入りであるローマ少子滅亡説は、図らずも、政府主導の少子化対策には効果がないということを歴史的事実として証明してしまったことになるのです。

 でも、だからといって悲観的になる必要はありません。もしローマ帝国が滅亡せずに版図を広げ続けていたら、いまごろ日本人はローマ人の奴隷として働かされていたはずです。ローマ帝国が滅んでくれたおかげで、いまの日本があるのです。いや、それとも、欧米が大好きな日本人のことですから、案外、嬉々としてローマ人の奴隷をやっていたのかもしれません。

 ここで若手社員諸君に忠告。もし、上司や取引先のお偉いさんが酒の席でローマ少子滅亡説を語り出しても、否定してはいけません。歴史小話をするのが好きなおじさんは、それによって周囲からささやかな尊敬の念を得られるはずだ、と期待しています。ですから「あ、それ、歴史的事実じゃないっスよ」などと身も蓋もなく否定してしまうと、その場に気まずい雰囲気が立ちこめるばかりか、お偉いさんのプライドは木っ端みじん、ひいては、あなたの仕事や将来に悪影響を及ぼす可能性すらあります。


●少子化報道のトリック

 先日、少子化問題を取り上げたテレビ番組が放送されました。画面には、東京某所の閑散とした公園で、つまらなそうにひとりで遊ぶ少年の姿が映し出されていました。そこに男性アナウンサーが沈鬱なトーンでナレーションを重ねます。「日本の少子化はかつてないほどに進み、将来の社会に深刻な影響を及ぼしかねないうんたらかんたら……」

 私は激しいショックを受けました。少子化の深刻な現状を目の当たりにして? いいえ違います。テレビ局が性懲りもなくヤラセ報道を続けていることに対してです。

公園こども密度

 上の図は、都市公園面積(2000年)と14歳以下のこども人口(2001年)との関連を示したものです。比較するデータの年度が異なるので、目安としてご覧になってください。要するに、県内全員のこどもを公園に集合させたらどのくらい混み合うかということを示した図です。東京は全国でも5本の指に入るほど公園こども密度が高いのです。だとしたら、東京の公園はこどもであふれかえっていそうなものなのに、不思議ですね。

 もう一つのデータが、こちら。東京都内でも地域によって、こどもの人口密度には大きな偏りがあるのです。

東京都こども人口密度

 これは公園とは関係なく、単純に市区町村ごとのこども人口密度を示した図です。千葉・埼玉と接する北東部は密度が高くなっています。うじゃうじゃとそこら中、こどもだらけです。江東区では、マンション建設ラッシュによって、小さいこどもを持つ若い夫婦の転入が急増しています。そうなると公立の小中学校を増やさなければなりません。その建設費を工面するため、区はマンション建設業者に対し、1戸あたり125万円という高額な負担金を要求する事態にまでなりました。業者は当然反発しています。すでにマンションで暮らしている住民たちの中には、もうこれ以上越して来るな! と新たなマンション建設に反対している人もいます。現代版『蜘蛛の糸』みたいな話です。

 反対に西部地区では、こどもを目にする機会が比較的少ないといえます。地図上では水色に塗られている中央南の多摩地区では、若い世代の流出が進み、老人ばかりが住む古い団地が多く見られます。テレビで放映されたのは、この地区にある公園の様子だったのです。

 ということは、荒川区や江戸川区といったこどもの多い地区に出向けば、公園で大勢のこどもがにぎやかに遊んでいる様子を撮影することも可能です。その映像に「大勢のこどもたちが元気に公園で遊んでいます。少子化が進んでるなんて心配してるのは、どこのすっとこどっこいでしょう」と女性アナウンサーの明るい声でナレーションを被せて放送すれば、視聴者にまるで逆の印象を植えつけることもできます。なにも高度なCG技術を駆使しなくとも、映像のマジックは実現できるのです

 じつのところ、東京の公園にこどもがいないのは、少子化が進んだせいではありません。地方の現状はわかりませんが、東京の公園では、たいていは看板が立っていて、利用者に注意を促しています。

「公園内での以下の行為を禁止します。野球・サッカーなどの球技、スケートボード・ローラースケート、噴水内での水遊び、自転車・バイクの乗り入れ、遊具を使用した危険な遊び、花火、たき火……」

 これだけ禁止事項が多い公園で、なにをして遊んだらいいのでしょうか。こどもたちだって悩みます。缶蹴りや鬼ごっこならかろうじて可能ですが、いまのご時世では、缶蹴りすら細心の注意を払って遊ばねばなりません。もし蹴った缶が誰かに当たってケガをさせるような事故が起きてごらんなさい、公園の管理者である市区町村のお役人は、すみやかに看板の禁止リストに「缶蹴り及び蹴力により小型固形物を移動させる遊び」と書き加えます。

 そうなってしまったら公園の利用法としては、塾帰りにちょっと立ち寄って、さめたフライドポテトでもつまみながら、暗がりでいちゃつくカップルをのぞき見するくらいしかないのですが、たぶんそれもいずれ看板で禁止されます。結局こどもたちは、家でおとなしくテレビゲームでもやってるしかないのです。


●少子化が進むとこどもはダメになる?

 社会学者、経済学者など、さまざまな専門家の中にも、少子化を憂うスーペーさんたちがいます。彼らはそれぞれの立場からなぜ少子化がいけないのかを論じますが、共通する点があります。論の最後で決まって、少子化はこどもをダメにする、と説くのです。

「戸外で遊ばない子が多くなって、取っ組みあいもしないし、それで突然キレる」
「子ども同士の交流の機会の減少により、社会性が育まれにくくなり、健やかな成長への影響が懸念される」
「家族規模の減少を伴う結果、親子関係が難しくなります」
「子供がいない、子供の声が聞こえない。そのような社会で何が起こっているかを想像してみることをお勧めしたい」

 などと、世間のみなさんの感情に訴えかけて支持を得ようとしています。たしかにどれももっともらしく聞こえます。どうです、こどもをたくさん作りたくてたまらなくなってきたでしょう。しかしここはひとつ、落ち着いて考えてください。どれひとつとして学術的に立証された理論ではなく、結局全部印象だけに基づいた感情論ではありませんか。じつに老獪なスーペー大作戦です。なんだか興奮して損したって感じです。

 何が起こっているか想像しなさいといわれたので想像してみます。また第2回講義のネタを蒸し返すことになりますが、いまよりこどもが多かった昭和35年には、すさまじい件数の少年凶悪犯罪が起こっていました。当時の社会を想像すると背筋が凍ります。戸外で遊んで取っ組みあいをしていた昔のこどものほうが、危険だったことは明らかです。それにしても、(私も含めて)オトナは勝手です。こどもが外で元気に遊ばなくなったと嘆いているのに、教室内で元気にしていると学級崩壊だ、と怒るのですから。


●厚生労働省と少子クソガキ増加説

 さて次は、こども同士の交流の機会が減少すると社会性や人間性に問題が生じるという不安についてです。「少子クソガキ増加説」とでも申しましょうか。こどもの数が減る→交流の機会が減る→こどもがダメになる、と、これまた軽やかなステップのスーペー論法です。私はむしろ、これほど偏見に満ちた根拠のない珍説を、厚生労働省の人口問題審議会が公式発表しているという事実に、強い不安をおぼえます。

 先ほど、東京都のこども人口密度の図を見ていただきました。東京都の東部はこども同士の交流の機会が多く、西部では少ないことになります。これと厚生労働省の説を照らし合わせると、東京西部地区はクソガキだらけで、荒川区や江戸川区のお子さんは心身共に健全な坊ちゃん・嬢ちゃんばかり。不良や暴走族など1人もおらず、オヤジ狩りもひったくりも起こらないはずですが……。

 そのあたりの実態を確かめたい方は荒川・江戸川区民にたずねていただくとして、当講座は日本全国へと目を向けましょう。

こども人口密度

 明らかに、大都市圏のほうがこども同士の交流の機会は多いのです。となると、地方のこどもは社会性も人間性も劣ることになります。そうでしょうか? 大都市の特徴のひとつとして匿名性が高いことがあげられるのは、周知の事実です。都会には多くの人が暮らしていますが、やろうと思えば、おとなりさんの顔すら知らずに生活することもできます。人口も交流の機会も多いからといって、実際に「ふれあって」いるとはかぎりません。

 今度は現在と過去を比較してみましょう。

0〜14歳人口の推移

 現在の少年人口は大正時代のレベルに戻ったわけでして、もし少子化時代に暮らすいまのこどもの社会性や人間性に問題があるというのなら、明治大正のこどもも同様だったはずです。だとしたら、その問題児たちのなれの果てである現在80歳以上の老人は、全員不良老人です。いまのこどもと老人は同じ環境で育っているのですから、けっこうウマが合うかもしれません。

 さらに壮大に、地球全体で検証してみましょう。

世界こども人口密度

 総務省統計局の『世界の統計2003』に載っている主要60か国の年代別人口データを使い、世界各国のこども人口密度を比較してみました。全部並べるとグラフが巨大になってしまうので、ここではそのうちの一部をお見せします。

 バングラデシュだけが、グラフに収まりきらないほど突出しています。ダントツにこども同士の交流の機会が多い国です。それならばきっと世界一のこども天国なのでしょう、と思ったらそうでもなく、貧しくて学校に通えないこどもがたくさんいたりします。乳児死亡率も78.8パーミル(1000人中78.8人)と、かなり高い値を示しています(日本は3.2)。人口が多けりゃいいってものでもありません。

 こどもが減った減ったと大騒ぎの日本ですが、こどもの密度となりますと、60か国中、上から12番目です(1平方キロあたり49人)。決して低くはありません。フィンランドやスウェーデンときたら、1平方キロあたり、たったの3人くらいしかいません。交流機会が極端に少ないのですから、少子クソガキ増加説によれば、北欧のこどもは社会性も人間性も世界最低レベルのろくでなしということになります。厚生労働省は北欧諸国に対してケンカを売るつもりのようです。

 国際紛争が勃発する前に事実確認をしておきましょう。もちろん、北欧のこどもがクソガキばかりであるなどという事実はありません。それどころか、OECDが世界各国で行った学力テストでは、フィンランドは日本、韓国に並んでトップクラスの成績を収めています。いまヨーロッパ各国の教育関係者は、こぞってフィンランドへ視察に訪れています。

 フィンランドやスウェーデンは出生率が比較的高い国として、少子化問題の研究者たちの注目を集めています。しかし、こども人口密度のことを考慮に入れるとどうでしょう。フィンランドやスウェーデンは極端にこども密度が低いので、どんどん増やしても問題ありません。同様に、出生率が増加していることで最近話題のフランスも、日本と比べれば半分以下の密度です。

 欧米に比べ劣悪な日本の住宅事情を加味しますと、はたして欧州諸国のマネをしてこどもを増やすことが、本当に日本の将来にとってしあわせなのかという疑問が残ります。早川和男さんと岡本祥浩さんが尼崎市内の小中学生を対象に調査したところ、大方の予想に反して、住宅が狭く四六時中家族が顔を合わせている家庭ほど、親子の対話は少なかったのです。また、こども部屋を与えられている子のほうが、情操・健康・成績面で良好だとの結果が出ました。2001年に東京都の出生率がついに1.0にまで落ちた、えらいこっちゃ、とあわててますが、住宅の部屋数・延べ面積ともに全国ワーストワンを独走する過密都市東京で、これ以上こどもが増えるのもまた困るのです。


●360万年前の核家族

 家族規模の減少による悪影響も危惧されていますが、具体的には、核家族化が進行するのはよくないという心配なのでしょう。これはおそらく、核家族という家族形態が戦後の経済発展とともに登場した新しいものであり、昔はみんな大家族だったという思いこみに端を発しています。

 アフリカのタンザニアで、360万年前の足跡が見つかりました。その深さ、歩幅などを詳しく分析したところ、アウストラロピテクスの夫婦とこどもが3人で手を取り合って歩いていたものだということがわかりました。すでにそのころ、人類の祖先は核家族を構成して仲良く暮らしていたのです。核家族化こそが、初期のヒト科の驚異的な適応能力を示すものだ、と主張する学者もいます。

 そっちが2000年前のローマ帝国なら、こっちは360万年前のアフリカだ、どうだまいったか! と、妙な対抗意識を燃やすのはこの辺にして、話を一挙に江戸時代にまで引き戻しましょう。速水融さんや鬼頭宏さんによる歴史人口学の著作から、江戸時代の農村の家族形態を知ることができます。17世紀に幕府は水田の新たな開墾を禁止しました。すると、狭い農地で生産性を上げるためには、少人数による耕作が効率的だということになり、結果的にそれまでの大家族制から、核家族への移行が進んだのです。その結果人口が減ったかというとまったく逆で、人口爆発といえるほど人口が増えました。

 もし家族規模が小さくなると親子関係が難しくなるのなら、日本の親子関係は江戸時代にすでに崩壊していたことになります。いえそれどころか、360万年前から親子の断絶は始まっていたとさえいえるでしょう。

 近代の工業化・都市化により、それまでの大家族制度から核家族へと変化した――。多くの人がそういうイメージを持っています。しかし、イギリスのピーター・ラスレットさんは、イングランドの平均家族規模は16世紀からこのかた、ほとんど変化がないことを明らかにしました。さらにヨーロッパだけでなく世界中の家族史を研究した結果、大規模世帯から核家族への移行という図式は、世界のどの地域でも成り立たない、と結論づけました。

 人類の歴史上、社会や経済の状況、あるいは環境の変化に応じて、家族形態や規模には常に変動がありました。家族形態や規模の変化は、家族という単位で社会の荒波に立ち向かうために人類が適応してきた結果です。家族形態の変化を社会が悪くなったことの原因とする説は、本末転倒ですし、核家族がいいか悪いかなどという議論も無意味です。理想的な家族像などというものは幻想にすぎません。いろいろなかたちの家族が存在することが、もっとも自然なのです。


●スーペーさんと、くよくよさん

 私が嫌っているのはスーペーさんであって、くよくよさん(くよくよしがちな人)ではありません。お間違えなく。スーペーさんとくよくよさんは、似て非なる存在です。くよくよさんは悲観主義というよりは、消極的なだけです。以前にもいいましたが、くよくよすることは少なくとも物事を考えている証拠ですし、めったに他人を傷つけることがありませんから、それは決して悪いことではありません。

 スーペーさんは超悲観主義を基調としているくせに、なぜか自分だけは100%正しいと信じ、前向きに考えます。大変矛盾した人格です。
 社会は悪くなる一方だ→自分は社会に迷惑をかけていない(社会に貢献している)→自分の生き方は「正しい」→自分と「違った」生き方をしているやつらは「間違って」いる→社会が悪くなったのはそいつらのせいだ!
 これこそが、スーペー論法の核となる思考法です。ゆえに、スーペーさんは積極的に他人を攻撃します。そして、決してくよくよすることがありません。

 今回は少子化論争をリードしているスーペーさんのおかしな論法にメスを入れてみました。彼らは、100年後には日本の3人に1人が65歳以上になる、なんて心配をしていますが、100年後の65歳はいまから35年後にようやくおぎゃあと生まれるわけでして、そのころには世の中がどうなってるかなんてわかりゃしません。昔の人は「来年のことをいうと鬼が笑う」といって、不確定な未来を自在に操れるとうぬぼれる人間の驕りを戒めたものです。学者は予言者ではないと肝に銘じるべきです。

 しかし、この程度の反論で引き下がるスーペーさんではありません。統計漫談を自認する私の駄弁を無視するのはともかくとしても、人口学・環境学などの専門家も科学的根拠や理論に基づいて、少子化はそんなに悪い結果はもたらさない、と主張しています。それでもなお、スーペー社会学者・経済学者たちは、少子化によるメリットなどなにひとつない、と意地になって自説を曲げようとしません。

 呆れるというよりも、不審に思いませんか。なぜ彼らはそこまで少子化悪玉説に固執するのでしょうか。じつは、そこにはさまざまな人たちの思惑や利害関係が隠されているのです。次回の講義では、その辺の事情にスポットライトをあててみることにしましょう。


今回のまとめ

  • ローマ帝国は少子化によって滅んだわけではありません。
  • 政府が少子化対策を行ったところで、国家が滅びるのは防げません。
  • 歴史小話が好きなおじさんは、みんなから尊敬されたがっています。
  • ドキュメンタリーや報道の映像にも、トリックが使われることがあります。
  • こどもたちは公園で遊ばないのでなく、遊ばせてもらえないのです。
  • 少子クソガキ増加説によれば、東京西部のこども・地方のこども・明治大正生まれのこども・フィンランドやスウェーデンのこどもはみんなクソガキです。
  • 核家族は360万年前からずっと存在します。
  • くよくよしてもいいけれど、スーペーにはならないでください。

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