最近の○○・バックナンバー 5(2010年〜)最近の国会図書館(2012.1.25更新)こんにちは。日々、疑問を解き明かすことに命を賭けるパオロ・マッツァリーノです。冬場になると、コンビニや駅の売店の飲料コーナーには、ホットのお茶やコーヒーがたくさん並ぶのに、なぜか、ホットの水だけはありません。そう、白湯。お茶やコーヒーばかり飲んでると、なんか今日カフェイン取りすぎだなあ、白湯飲みたいな、とか思いませんか。冬は白湯! ペットボトルでホットの「おいしい白湯」が飲みたいのに、なぜ、ないのですか。商品化を強く望みます! え、水筒持ち歩け?疑問を解き明かしたい者が集う聖地といえば、国会図書館ですね(初耳ですよ)。年明けの開館初日にはりきって行ってきました。というのも、今年からシステムが大幅に変更されると、前々から告知されていたから楽しみにしてたんです。『13歳からの反社会学』では初心者のための国会図書館利用法を書きましたので、アフターケアとして、その後の最新情報をお伝えしましょう。国会図書館の公式サイトには、利用に関しては簡単な説明しかないので、実際行ってみないとわからないことがたくさんあります。6階食堂のスパイシーカレーと3階喫茶室の日替わりパスタがうまいとか。 いまはたぶん緩和されたんじゃないかと思いますが、初日は入り口を入ったところにものすごい行列ができていて驚きました。 以前は利用登録をしなくても当日利用ができたのですが、今年から、登録しないと書庫の本が出せないことになりました。国会図書館の資料はほとんど書庫にありますから、事実上、登録が必須になったということです。それで、登録しようとする人が、押し寄せ、群がり、阿鼻叫喚の地獄絵図となり……ウソです。みなさんきちんと並んでました。でも、初日で係の人たちが作業や案内に慣れていないせいか、登録に30分とか1時間待ちとかの状態が続いてたようです。 国会図書館では、入退館にも、検索用パソコンの使用にも専用のICカードが必要です。去年までは、入館のたびにICカードを渡されて、それを使って入館、そして退館時に返却するシステムでした。登録利用者は、バーコードが印刷されたプラスチックのカードでICカードの発行が簡単にできたのですが、それでも二度手間ということで、今年からはICカードそのものを貸与されることになったんです。 で、そのICカードをもらうのに、大行列ができてたというわけです。以前に登録をしてた人は、身分証明書を見せて新たにICカードをもらうだけなんで20分くらい列に並べばよかったのですが、新規登録の人はかなり待たされたみたいです。 初日は混雑解消のために、特別に当日有効の仮入館カードを発行してました。仮カードならすぐもらえたんで、私はそれで入館して調べものを済ませ、帰りに並んで登録しました。 検索用パソコンは、ハードもソフトも一新。ハードの変化で一目でわかるのは、モニターがでっかくなったこと。縦型モニターが並ぶコーナーがあったのには、おっ、なかなかわかってるな、と感心しました。縦型のなにがいいかというと、国会図書館には近代デジタルライブラリーってのがありまして、著作権の切れた古い本の一部は、全ページを画像データとしてパソコン上で閲覧できるんです。要は、むかしからあるマイクロフィルムやマイクロフィッシュのデジタル版。 本のページは縦に長いでしょ。以前の横長モニターですと、文字の小さい本を読みやすくしようと画像を拡大すると、画面から上下がはみ出してしまいます。縦書きの本を横長モニターで読むことがどんだけ読みづらいか。本を読むならやっぱり縦長モニターが便利です。 問題は、検索ソフトの操作性がかなり変わってしまったこと。機能が増えたようなので、慣れて使いこなせれば便利なのかもしれませんけど、ソフトが変わると最初はかなりとまどいます。本だけでなく、雑誌記事検索結果もまとめてごちゃっと一覧で表示されるので、本なのか記事なのか区別がつきづらい。これは色を変えるとか、表示切り替えを簡単にできるようにするとか、工夫してほしいところ。閲覧請求の方法も以前よりわかりづらくなりました。直感的にどこを操作したらいいのかがわからない。あっちこっちいじってようやくわかるダメなシステム。システムの設計者がごりごりの理系アタマで考えてて、利用者目線になってない感じが伝わってきます。ユーザーが直感的にわかるような操作にしろというジョブズの設計思想をまねてほしかったですね。 あと、雑誌閲覧の申し込み方法が、今年からかなり変わりました。これに関しては、用途によっては改良ともいえますし、改悪と感じる人もいるでしょう。 国会図書館では、書庫の本は一度に3冊までしか出せないことになってます。こちらはいままでどおりです。 雑誌は去年まではちょっと複雑で、一度に3点まででした。この「点」というのは、雑誌の種類を指します。つまり、同時に3種類の雑誌を書庫から出して閲覧できたんです。で、一点につき6冊まで。同じ雑誌を3点出すことも可能なので、同じ雑誌なら一度に最高18冊まで出せました。ただし、違う雑誌を一冊ずつたくさん見たくても、一度に3種類、3冊までしか出せずに不便だったんです。 それが今年から「点」制度が廃止され、とにかく一度に合計10冊まで出せるようになりました。たとえば、ある事件について、雑誌メディアごとの報道姿勢にどのような違いがあったか、なんてのを比較したい場合は、10種類の雑誌を同時に出せるから便利です(いままでは3種類でしたから)。 でも、ある雑誌の長期連載記事だけをまとめて読みたい、なんてときには、これまでは一度に18冊出せたのに、今年からは10冊しか出せなくなりました。10冊読んで返却してからまた申し込み、出てくるまでに20分くらいかかるので、手間は以前の2倍くらいかかることになっちゃいます。この用途に関しては、サービス低下です。ま、一長一短なんで、以前といまとどちらがいいとも、いいづらいところですが。 2011年最後のごり押し(2011.12.24更新)こんにちは。いまや確固たる人気と実力を誇るパオロ・マッツァリーノです。いえいえ、自分でいってるんじゃありませんよ。『本の雑誌』12月号に載った『日本史漫談』の推薦文に書いてあったんです。すいませんねえ、ほめていただいて。実力はともかく、人気も収入も確固どころかぐらぐらです。2011年は、もういうまでもなく、いろいろありました。震災、原発。あ、原発はいつのまにか収束したんだそうですね。震災の被災者のみなさんは用心したほうがいいですよ。うっかりしてると、震災もいつのまにか収束したことにされちゃいますから。 で、震災や原発にまだみんなの目がむいてるうちにと思ったか、はたまた年末でワイドショーやニュースが休みに入る時期を狙ってか、年末の最後の最後に、どさくさまぎれに八ッ場ダムを造っちゃうことにした、って話には驚きです。治水効果は期待できないという批判に対する納得のいく反論は一切なされぬまま、効果があるといったらあるんだもん! と小学生並みの理屈でごり押しされちゃいました。 日本では、うっかりしてると、いつのまにかダムが出来ちゃうんですよ。心機一転、ダム建設を再開するのだから、ついでにダムの名前も八ッ場ダムから変えましょう。出来ちゃった婚ならぬ、「出来ちゃったダム」とか、どうですか。 うっかり、ダムのごり押しに反対するデモでもしようものなら、それをテレビかネットで見た、ってだけの全然関係ないとこに住んでる行政書士に告発されたりしかねません。普通、外国では、市民のデモやネットの書き込みを弾圧するのは政府なのに、日本では市民が率先して他の市民を弾圧してくれるんですから、こんな御しやすい国民も珍しい。 え、おまえだってダムとは全然関係ない戯作者だろ? これはうっかり説明不足。私は千葉県に住んでて、払ってる税金や水道代が勝手にダム建設に使われてるそうですから、利害関係者です。そもそも、関東の人たちが八ッ場ダム問題にあまりにも無関心なのが不思議を通り越して不気味。 地元の意向を大切にするというのなら、百歩譲ってダムは造ってもいいですよ。その代わり、完成後の維持修理費用は、全額を地元が永久に負担することで手を打つのはどうですか。こどもが親に犬をねだって買ってもらったら、その代わり自分で最後まで世話をしなさいよ、と約束させられます。世界では、それが普通の教育ですけど、日本ではちがうのですか? 世間的にも大変な年でしたけど、私も秋から病気がちで、頭は痛いは腰は痛いはケツは痛いは、さんざんでした。 年に一度は大阪に行くのですが、そんなこんなで今年は行けずじまい。悲しかったのは、大阪に行くたびに寄っていたジャズCD・レコード専門店の店主ミムラさんが急逝されたこと。ブログ見て知りました。最初に寄ったとき、いちげんの客なのに、「なんか探してるのあったら、いうてくださいね〜」と話しかけられてビックリしました。東京のCD屋で店の人に話しかけられたことなんてありませんよ。ラブホ街のど真ん中にあった、せせこましくも個性的なあのお店が、もうないんですよねえ。 恒例、今年よかったもののごり押し。現代のダークなメリーポピンズ『家政婦のミタ』は、いまさら私が推すまでもなく驚異的な視聴率。最初から最後までダレないどころか、ブラックな笑いまで忘れない余裕に、遊川脚本の底力を見せつけられました。 有料なので見られる人が限られますが、WOWOWのオリジナルドラマは品質本意。二転三転、先が読めない犯罪サスペンス『造花の蜜』では、檀れいさんが舞台芝居のような誇張した感じで美しい悪女を演じて魅力全開。悪女役は、自然な生活感のある演技じゃだめなんです。それだと普通の悪いおばさんになっちゃいますから。 テレビのお笑いネタ番組がなくなってしまったので、お笑いのライブDVDをちょいちょいレンタルしてました。一番おもしろかったのが、インスタントジョンソンの『阿修羅』。意外? あのう、みなさんが抱いてるインスタントジョンソンのおもしろさのイメージレベルがあると思うんです。だいたいこんなもんだろ、と。そこから、3割増しにしてください。それが彼らの実力です。同じコントを、設定を変えて2度続けてやるという実験的なものまで成功してるし、笑えて、しかもネタの完成度もかなり高い。 THE MANZAIの決勝は4組とも実力伯仲でおもしろかったけど、もし私が審査員なら、千鳥に入れてましたね。 『日本史漫談』に、ドリップコーヒーを淹れるときの紙フィルターのにおいが気になると書きましたが、ハリオのカフェプレススリムという器具が手頃な値段だったので、コーヒープレスを試してみました。コーヒー豆のロースト加減、量、抽出時間などのちがいが、ドリップよりもはっきり出てしまうので試行錯誤が必要ですが、技は不要です。ペーパードリップは、淹れる人の技で味が変わっちゃうんですよね。 コーヒー党の私は紅茶はめったに飲まなかったのですが、午後の紅茶エスプレッソティー、缶コーヒーと同じサイズのヤツ。この苦みのきいたミルクティーにはハマりました。というわけで、2012年もよろしく。 『コドモダマシ』が文庫になりました(2011.11.24更新)こんにちは。業界内ではそこそこの認知度があるものの、一般人気がまったくない、B級ライターのパオロ・マッツァリーノです。まずは文庫のお知らせです。3年前に出した『コドモダマシ』が装いも新たに、角川文庫になって再登場。11月26日ごろ発売予定です。 『反社会学講座』文庫化の際にはかなり加筆しましたが、今回は、いま読み直してもじゅうぶん通用する出来だと判断しましたので、本文には手は入れてません。その後状況が変わったところだけ、ちょこっと注釈を入れたくらいです。 変わったのはおもにビジュアル面。表紙イラストは単行本と同じ藤波俊彦さんですが、文庫ではカラーになりました。単行本ではあやつり人形だったのが、文庫は腹話術。本文イラストも藤波さんに描き下ろしていただきました。どれもすっごく、濃いです。コクがありすぎます。おじいちゃんの服のセンスがたまりません。ラフスケッチの段階ではクルマのイラストの正面にブキミな顔が描いてあって、なにこれ、リアル『カーズ』? と笑ってしまいましたけど、あまりにシュールすぎて読者がひきそうだったので、そこだけは普通のクルマにしてもらいました。 お手ごろ価格になりましたので、先月もいいましたが、単行本の購入を見送っていたかたに、ぜひ文庫をお買い求めいただければと。さらりと読めますが、きれいごとは書いてません。けっこうトゲだらけ。ブラックなのに後味ほんわか、21世紀を生き抜く親子に贈る教育論コント、『コドモダマシ』文庫版を、ひとつごひいきにお願いします(単行本も在庫ございます)。 さてさて、『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』も、もちろんお忘れなく。一部で絶賛をいただいているものの、どうも一般のかたがたまでは、なかなかこのおもしろさが届いてないようです。私自身、小難しい専門書が大嫌い。だから、わかりやすい言葉で本を書いてるつもりなので、むしろ一般読者にこそ、読んでもらいたいんですけど、他人がやらないことをやって認められるのって、ホントにむずかしい。 文章のリズムまで考えて書いてたりもするんです。私の理想は落語の速記本です。高座をそのままテープ起こししたような。お客さんに話しかけるような自然な口語体を、どうにか活字で再現できないかと、いつも苦心しています。 よけいなお世話だけど、他人の文章読んでてすごくしらけるのが、「筆者」って一人称ね。筆者って……。なんで、私やぼくやオレじゃいけないの? なぜそうまでして書き手の人間味や存在を消し去らなきゃいけないのか。主語を筆者にするだけで、客観的な文章を書いてるつもりになってるんですかね。 だって普段しゃべるとき自分のことを「話者」なんていわないでしょ? ファミレス行ったとき、「オレ、ハンバーグセットにしよっかな。おまえ決まった?」「話者は、三種のきのこオムライス」なんて会話しないでしょ。私はどんな文章であれ、活字から書き手の声を聞きたいんです。客観性は根拠となる事実から判断します。文章は書いた人の主観や個性が出ててもいいんです。 そういうわけで、ときどき声に出して読みながら原稿書いてることもあります。だから純粋な文章として読むと、「てにをは」が欠けてたり、よけいないい回しが混じっててムダなように思えるかもしれません。ゲラの段階で、校正の人からチェックされることも、よくあります。けど、音声にするとそういう欠けやムダのおかげで、逆に自然に聞こえることもあるんです。 ひょっとして、こういうテンポとタイミングで読んでほしいと私が考えているものが、読む人には伝わってないってことですか。 先日、談志さんがお亡くなりになりました。談志さんの本を読んでおもしろいと思えるのは、内容もあるけど、やっぱり声の部分が大きいと思います。談志さんの口調を知ってる人には、活字からもあの声がきこえてくるんです。 私が一番好きな落語家は、ずいぶん前に亡くなった志ん朝です。私はこどものころ、志ん朝の落語をテレビで何度も見たことがあるし、ラジオやCDでも聞きました。あの独特の口調を知ってるから、志ん朝の落語をそのまま収録した本を読んでも、志ん朝の口調や声がアタマの中によみがえるんです。でも志ん朝の落語を聞いたことがない人は、たぶん、志ん朝の本を読んでもおもしろさは半減でしょう。 決して、私にそんな一流の噺家みたいな話芸があるとうぬぼれてるわけじゃないですよ。そんな人たちの足元にもおよばないとおことわりした上で、私の声も読者に伝わってないんじゃなかろか、と。 だったら朗読とかしないといけないのかな。今後、電子書籍版を出すときに、おまけとして私が朗読した音声データをつけるってのはどうでしょう。そしたら買ってくれます? なにぶん滑舌が悪いんで、ボイストレーニング通わないと。 ごり押しが日本を救う(2011.10.24更新)こんにちは。お店で店員に「おそれいります」といわれたとき、一度でいいから「おそれいったか」といい返してみたいパオロ・マッツァリーノです。『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』、もうお読みいただけたでしょうか。改めて読み返しても、これホントに自分で書いたのかな、って疑うくらいにおもしろいので、自信を持って、再度ごり押しさせていただきます(なお、調査も執筆もすべてアシスタントなしでホントに一人でやってますので、念のため)。 じつは先月来、ちょっと体調を崩してしまいまして……もうほとんど回復しましたのでご心配なく。そういう事情で、いつもなら新刊が出ると書店にごあいさつにうかがってるのに、今回はパスしてしまいました。いつも来てるのに今回来ねえなとか思ってる書店員さんがもしいらっしゃいましたら、すいません。 そして、単行本が出たばかりですが、またまた発売予告です。以前出した『コドモダマシ』が角川文庫になって、装いも新たに11月下旬発売予定です。内容はほぼ単行本のままですけど、表紙と本文中のイラストは漫画家の藤波俊彦さんがすべて描き直してくれました。単行本のときに購入を見送っていたかた、この機会にぜひお手頃価格の文庫版をどうぞ。 『日本史漫談』発売後、読者のみなさんから何通かメールをいただきました。ありがとうございます。メールは、どうしても私に感想を読んでほしい、いいたいこと指摘したいことがあるというかただけくださればけっこうですからね。そうでなければ、レビューや感想はブログやツイッターなどに、私に気兼ねせずに自由にお書きください。 以前からいってますが、私はネット上に書かれた自著のレビューや感想を一切読まないことにしています。『日本史漫談』でもこれまでどおり、楽しいばかりでなく、ちょいちょい多方面に毒を吐いてます。人気の学者や評論家をネタにしてるところもあるので、怒るかたもいらっしゃることでしょう。けど、私の本は百歳のババアが書いた癒しの詩集ではありません。読んで笑う人もいれば怒る人もいる、というのが変わらぬコンセプトなので、失礼・無礼があることは、もとより承知の上でやってます。 ただ、一通だけ、意味を解しかねるメールが来ました。差出人のかたにも文面の内容にも、まったく心当たりがありません。パオロさんへ、みたいに名指しもしてないので、差出人のかたが、私をだれかべつの人と誤解して送った可能性もあります。え、まさか私のなりすましが存在するとか? おことわりしておきますが、私はパオロ・マッツァリーノの名義でも、他の名義でも、ブログやツイッターを開設したことは一度もありません。掲示板や他人のブログにコメントを書きこんだこともありません。だから、ネットの書き込みを読んで、こいつパオロじゃねえか、などと勘ぐらないように。 ちかごろ、ある種のテレビドラマや特定のタレントに対し、ごり押しするな、と主張してネガティブなデモまでやってる人たちがいます。私の正直な感想をいっていいですか。情けない人たちですね。 私はむしろ、日本のみなさんにこうハッパを掛けたい。もっとごり押ししろ! だれにだって好き嫌いはあります。だから否定するのはけっこう。でも否定するならその代わりに、こっちのほうが絶対いいぞ、と推薦できるものを示さなければ、反対運動などむなしいだけです。否定だけではなにも生み出しません。なにかを否定する者には、代わりのアイデアを出す義務がある。社会人にとっては常識のはずです。 韓流ドラマを放送するなというのなら、じゃあなんだったらおもしろいの? じつは私も韓流ドラマにはまったく興味がもてないのですが、代わりにみんなにごり押ししたい日本のドラマをいくつもあげられますよ。いまやってるなかでのごり押し大賞は、『家政婦のミタ』。さすがの遊川和彦脚本。ベテランなのに、あいかわらず一歩間違うとひいてしまいそうなギリギリのクセ球をほうってきます。攻めの姿勢を崩さないところがすごい。 つねに見る人を選ぶのがクドカンドラマ。うぬぼれ刑事にはまったくハマらなかった私ですが『11人もいる!』は初回だけ見てごり押し決定。励ましあわなくてもいいのが家族、なんて書けちゃう脚本家、そんじょそこらにいませんよ。 ドラマじゃないけど、日中韓の人たちがそれぞれの文化のよさをごり押ししあって理解を深めようという深夜番組『なかよしテレビ』は、内容はいまひとつながら、この企画をいまぶつけてくるフジテレビって、なかなか骨があるなと私の中では評価が上がりましたね。 自信を持って他人に薦められるものがない人は不幸です。ごり押しできるものがない人はみじめです。 韓国製品が世界中で売れてるのは、韓国人がえげつないくらいになりふりかまわず世界中でごり押しをしてるからですよ。日本人はごり押しが足らないんです。ごり押しされるとひくよねー、なんて冷笑してるあいだに、世界でごり押され負けしちゃってることに気づいてない。 遠慮や謙遜、空気を読むといった日本的美徳は、世界では「ぐずぐずしてる」「決断力・行動力がない」という欠点だとみなされます。ごり押ししちゃだめー、なんて泣きごといっても相手にされません。日本の足を引っ張ってる遠慮や謙遜などさっさと捨てて、もっとずうずうしくごり押ししていいんです。しなきゃダメなんです。 私は自分が書いた本を、心底おもしろいと思ってます。逆に、そう思えないのに、自分の作品に値段をつけて売ってる人がいたら、それこそがもっとも失礼なことですよ。価値のないものを売りつけるのなら詐欺じゃないですか。 だから私は、自分の本もごり押しします。ニトリのCMじゃないけど、『日本史漫談』にはお値段以上の価値は絶対あります。ウソだと思うなら、ぜひ読んでみてください。 『日本史漫談』新発売記念ライナーノーツ(2011.9.21更新)こんにちは。著書のカバーでは、いつもセンターにいる、永久選抜メンバーのパオロ・マッツァリーノです。まずは連絡事項から。当サイトは以前、インフォシークの無料ホームページサービスを利用していた関係で、FC2に移転してからも連絡用メアドはインフォシークメールのものを使ってました。 ところが先日、インフォシークメールがウィンドウズライブメールに統合されました。使ってみると、ログインでもたつくし、使い勝手もいまひとつなので、当サイトの連絡用メアドを、Gメールのものに変更しました。 といってもインフォシークメールを解約したわけじゃありません。以前のアドレスに届いたメールは自動的に新アドレスに転送されるように設定してあります。 さて本題。新曲、じゃなくて最新刊『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』の発売が9月26日(ごろ)に迫ったということで、第1章から順に内容紹介と執筆裏話をしていきましょう。ちょっと長くなりますが、ライナーノーツと思っておつきあいのほどを。 『日本史漫談』ライナーノーツ * ということで、今回も新ネタたっぷり、新書10冊分の情報量をぎゅっと一冊に濃縮してお届けする自信作です。おもしろいです。もしも大正時代の広告コピーだったら、きっとこんな感じ。 素敵!! 素敵!! 面白い! と到る処で大評判!!! 主婦も色魔も只々驚嘆!! 巧妙奇抜、懇切周到、元気充実、買うなら今! 猶予なさるのは愚の極み!! 歴史は新事実の発見によって、つねに書きかえられていくものです。私も今回いろいろ調べていて、まだ調べたりないと感じてる部分はたくさんあります。そういった点を、補足してくれるような新情報、もしくは異論反論があれば歓迎します。 ただし当然のことながら、根拠となる史料・出典をきちんと示してください。自分の頭の中で組み立てただけの思想・妄想はご遠慮ください。ネットと雑学本に書いてあったってだけでもダメ。ネットと雑学本の記述は、出典や根拠が明記されてないことが多いから、真偽を検証できないんです。もちろん、ネットの情報でもその辺が明らかにされてればいいですよ。 新刊は9月発売予定です(2011.8.26更新)こんにちは。ナポリ市非公認のゆるキャラ、パオロくんだヨ! 今日もパオロ・マッツァリーノの最新情報をゴリ押しするヨ! 公共のインターネットを使って私腹を肥やすヨ! なにしろ、パオロ・マッツァリーノのファンは世界中に2000万人いるからネ![要出典] アイタタタタ、ぎっくり腰で動けなくなってしまったヨ![要介護] タイムスクープハンターに出てる俳優のファンだヨ![要潤] パオロくんの趣味はアオリイカ釣りだヨ! 全力で来いヨ!あれ? 140字でおさまってないな。やっぱりツイッターってむずかしいなあ。みんなマメですね、毎日140字のギャグ考えてつぶやいてんだから。え、べつにウケ狙ったり、オチつけたり、なりすましたりしなくてもいいの? マジメな話でもいいの? でも、それはそれで、つまらないな…… というわけで、あらためましてこんにちは、伊流スターのパオロ・マッツァリーノです。タイムスクープハンターは、じつは数回しか見たことがありませんが、杏ちゃんはけっこう好きなので、杏ちゃんがハンター役になったら、きっと毎回見ます[要潤のファンじゃねえのかヨ!]。他に好きなのは、森永の「おいしいバニラモナカ」です。うちのほうでは、特定のセブンイレブンでしか売ってない激レア商品なのですが、ビックリするくらいおいしいアイスなので、ご近所で見かけたら食べてみてください。 さて、先月からはじまったネット連載、「悩めるお母さんのための読書案内」は、無事第2回がアップされましたので、ぜひごらんください。毎月下旬あたりにゆるりと更新される模様。 そしてお待ちかねの単行本情報! タイトルが正式に決定しました。『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』。二見書房から9月下旬発売予定です。 今回のテーマは「歴史」ですね。といっても日本では、なんだか知らないけど歴史というと、戦国武将萌え〜と日中戦争萌え〜ばっかり。私はどちらにも興味がありません。 私にとっての歴史とは、庶民目線から見た文化史・社会史です。これまでやってきた、江戸時代のフリーターだとか、ふれあいやくよくよの歴史、地見屋の盛衰みたいな、小さなテーマで、名もない個人が、人間が見えてくる歴史じゃないと、興味が湧かないんです。 今回の『日本史漫談』で取りあげたテーマもさまざまです。日本人はどんな土下座をしてきたか。昭和初期からはじまっていたクールビズ論争。議員はいつから”先生”になったのか。日本人のこどもの名付けはなぜ暴走するのか。昭和デフレ大恐慌下に勢いづいたダイエット薬販売合戦。大正昭和の雑誌広告コピーのえげつなさ。牛の金玉丸焼けの歌と、牛乳のニオイの秘密。亡びたためしがないのに、性懲りもなく亡国論を唱え続ける人たち。日本人はいつから謝罪会見が好きになったのか。などなど。 どれも以前から気になってたけど、ググっただけではわからないことばかり。だったらひとつ私が調べてやるか、というわけで、まあ、よくいえば守備範囲が広い。悪くいえば節操がない。ひとりで歴史バラエティの企画・取材・編集・ナレーションまでやってしまったようなものです。 タイトルの”パオロ・マッツァリーノの”、ってところが重要ですからね。あくまで、私流の日本史です。私は歴史学を学んだことはないので、歴史研究の正しいやりかたがどんなものかなんてのは知ったこっちゃありません。データを使うところは社会学っぽいし、言葉の使いかたから検証するのは国語学っぽいし、必要とあらば科学的手法も使います。そして、発掘したおもしろい事実をみなさんにお伝えするための手段が戯作や漫談となるわけで、アタマの固い人たちは、こんなの歴史じゃない、というかもしれませんけど、実際、そうなんでしょうね。でも、既存の学問の枠にとらわれない、どんな学問にも尻尾を振らないのが反社会学の精神です。これがパオロ流。 ひとついえるのは、私はつねに根拠のあることしか書かないってことです。今回の本では、明治から現在までの朝日・読売新聞を史料として存分に使わせてもらいました。パオロ流NIEですね。その作業の過程で、以前から私が主張している「人間いいかげん史観」に、より確信がもてるようになりました。ホント、人間って何百年も前から進歩してないんです。オレってダメだなあ、アタシってダメだなあ、と落ち込んでるみなさん、もっと自信を持ってください。むかしもいまも、世の中ダメな人ばっかりなんですから。それでも地球は回るのです。 おっと、表紙イラストは『プチ改造論』でもお世話になった岡林みかんさんに再登板をお願いしました。こちらもお楽しみに。 ネット連載、はじめました(2011.7.28更新)こんにちは。イヤなこと、つらいことがあったら、すぐに穴を掘って埋めてしまう、パオロ・マッツァリーノです。世論の圧力を受けると、また掘り出すこともあります。9月発売予定の単行本新刊は、作業が着々と進んでおりますので後日また報告するとして、今日は、ひさしぶりにはじめたネット連載の告知です。春秋社のWeb春秋というサイトで、「悩めるお母さんのための読書案内」というのをはじめました。記事ページのアドレスが毎回変わってしまうようなので、私のページにじかにリンクできません。Web春秋のトップページからお入り下さい。 アップして2か月すると削除されていく方式なので、月に一度はアクセスするのが吉。毎月26日ごろに更新予定です。 新連載といいましても、以前、雑誌VERYで2年間連載していたものの続編です。もともと、まとまったら春秋社さんから単行本にする約束だったのですが、本にするには量が少なすぎるということで、書き足すことになりました。 立ち食いそば屋兼古本屋「ブオーノそば」を営むパオロのもとに、毎回悩み多きご近所の主婦が訪れ、そのお悩みや疑問の解決に役立つであろう本を紹介するという、世界に一つだけの設定の読書ガイドです――が、実態は読書ガイドを装ったミニコントではないかというおふざけ疑惑が持ち上がり、しかも私が新刊ではなく古い本ばかりを紹介していたこともあってか、VERY読者にもハマらず、編集長のウケもよくなかったという、いわくつきの連載でした。 雑誌連載時には、品切れ・絶版になっていない本を紹介するという縛りを設けていたのですが、今後はその縛りをやめて、内容が興味深ければ、現在品切れ中のものでも取りあげるつもりです。 というのは雑誌連載時、次回はこの本を紹介しようと目星をつけてネット書店で検索すると、発売後2年くらいしかたっていないのに「入手不可のため注文できません」なんて書かれていて、絶句することがたびたびあったんです。 私はいつも調べもののために、大量の本に目を通します。お金持ちではないので、すべて買うわけにいきません。図書館を利用することになります。ですが、そういう作業をしていく過程でめぐり逢った、これは! というおもしろ本は、書店で買うことにしています。気に入った映画のDVDを買ってコレクションするような感覚ですね。なのに、そういうおもしろい本ほど、品切れになってるケースが、まあ多い。 もちろん新刊を紹介して売ることも大切ですよ。私だって生きてるうちに自分の本が売れなきゃ困ってしまいます。死んでから評価されたってなんの意味もありません。それにしたって、おもしろい本が注目も浴びずに2年くらいで絶版になってしまい、文庫にもならないなんて、他人事ながらくやしいじゃありませんか。 というわけで、ネットでの連載再開一発目に選んだのは、現在品薄らしい名著『背信の科学者たち』。ネットにアップした文章では、理系の学生に全員読ませるべきだと書いておきましたけど、データや統計を扱う社会科学系の学生も全員読むべし。文系の人なら、第7章の「論理の神話」あたりから読むことをおすすめします。 誤解しないでいただきたいのですが、私は科学を否定しているわけじゃありません。多くの人たちが「科学者の先生がいってるから」という理由だけで科学を盲信しすぎる傾向を批判してるだけで、むしろ私自身は科学や先端技術みたいな分野が大好きです。スピリチュアルやオカルトは、全然おもしろいと思えないので、霊能者や占い師がデカいツラするテレビ番組がちかごろようやく減ってきたのは喜ばしいかぎりです。 しかしそれと入れ替わるかのように、科学者や心理学者や経済学者、もしくは各分野の評論家を名乗る連中が、まだろくに検証もされてない新説・珍説を、さも学界公認の真実であるかのように吹聴する新手のオカルト番組が、やたら増えたように思います。 その手の「珍説披露番組」では、「番組で紹介したのはひとつの説であり、真偽は視聴者のみなさんで判断してください」みたいないいわけをしていることが多いのですが、そんなんで責任をすべて視聴者に丸投げできるなら、無法地帯ですよ。 だったら、数年前に問題になって打ち切られた『あるある大辞典』だって、「納豆でやせるというのはひとつの説なので、視聴者の責任において実行してください」とテロップを出せば許されたことになっちゃいます。ていうか、テレビ局はあの一件からまちがった教訓を得たようです。つまり、「怪しいことは確認がとれるまで放送しない」のでなく、「怪しいことも一学者の仮説とことわって放送すれば問題ない」と都合よく解釈することにしたんですね。 こういうと、視聴者の側がメディアリテラシーを磨けばいいのだ、と唱える理想主義者が必ずネット上にはあらわれますが、それもまた、情報の受け手に全責任を押しつけてることに変わりはありません。何年も前から繰り返し、振り込め詐欺被害の手口が報道されてるのに、一向に被害がなくならない現実をみれば、教育や啓蒙に限界があることなど明らかです。 実際問題として、珍説披露番組を見て仕入れた知識を鵜呑みにしてる視聴者はかなり多いんです。「○○をやれば脳が活性化する」なんてのが代表例で、一般の人たちの間では、ほぼ信じられてます。けど、まともな脳科学者のあいだでは、脳の活性化なんて現象には、たいした意味や効能はないというのが常識です。 百歩譲って、ひとつの説とことわった上で新説を紹介するにしても、その根拠は示さないといけません。どういう実験や研究の結果こういう説が出たんですよ、みたいな具体的な説明がなく結論だけをいったのでは、検証も反論もできません。私も著書で社会現象などの独自解釈やふざけた意見を披露することは多々ありますけど、どういう資料やデータにもとづいているのかを明らかにした上でふざけてます。マジメにふざけてるんです。 テレビはエンターテインメントなんだよ、シャレなんだよ、検証だの解説だの、たるいことやってたらつまんなくなるだろうが、という意見もまちがってます。 いまから思うに、『トリビアの泉』って、とても良心的な番組でした。どんなくだらないことでも、「実際に、やってみた」といってバカバカしいくらいにお金をかけて実験してました。トリビアそのものよりも、その検証過程をエンターテインメントにして高視聴率を獲得していたわけです。 『トリビアの泉』と同じ頃だったかな? べつの局で、嵐だかトキオだかがいろいろな科学実験をやる番組があって、その中で、雨の中を歩くのと走るのとではどちらが濡れないか、という実験をやったんです。そのときスタジオにパネラーとして参加していた科学者のひとりが、「これ、科学者のあいだでもむかしから議論になってたんだよ」とコメントしました。 私はテレビの前でその科学者を軽蔑しましたね。議論になってた? 雨のときの濡れかたなんて実験は、危険でもないし、たいしてお金もかからないのに、なぜその科学者は自分で実験してみなかったんですか。アタマで仮説をひねり出して議論するだけなら思想家です。科学者としての存在理由は、「実際にやってみる」「観察・観測した結果から考える」ことにあるんでしょうが。 水に素敵な言葉を書いた紙を見せて凍らせるときれいな結晶ができる、なんてオカルトに対しても、それがまちがいであることを理屈で説明してる科学者がいますけど、そんなもん、実験してみせれば一発でわかるでしょうに。もっとも、オカルトマニアは、「その実験が失敗したのは、言葉を書くときにまごころを込めなかったからだ」とかなんとか反論するんですよね、きっと。 新刊予告、そして、怒るのがヘタな人たちへ(2011.7.2更新)こんにちは。パオロ・マッツァリーノです。一年前のいまごろ、街でみかけた七夕飾りの短冊に、こんな願いごとが書いてありました。「私に仕事と地デジをください。」 願いは叶えられたのでしょうか。 韓流ブームには完全に乗り遅れている私です。ちかごろは、テレビをつければつねにどこかのチャンネルで韓国ドラマをやってるんじゃないかってくらいで、こないだテレビをつけたらパッと韓国ドラマが映りまして、いきなり聞こえてきたセリフがこちら。 「あいつは、しょうゆ皿みたいに器の小さい男だよ!」。 いわれたくない言葉です。でも、ちょっと笑っちゃいました。韓国語では普通のいい回しなんでしょうか? そういえば何年も前に、『反社会学講座』の韓国語版を出版したいという申し出があって、前払い金ももらったんだけど(ほんのちょっとね)、あの話、どうなったんだろ? もし韓国の書店で『反社会学講座』を見かけたら教えてください。 さて、前回お知らせした新刊ですが、8月下旬か9月ごろの発売になりそうです。 今回はなんとか、前作『13歳からの反社会学』からおよそ1年のインターバルで発売することができそうです。私としては早いほうですが、中身はこれまでどおり、いや、これまで以上に手を抜かず、しつこく文献・資料・新聞を調べまくって、おもしろい事実をしこたま発掘しました。発売まで、いましばらく、お待ちください。 調べものをしに図書館に通っておりますと、いろんな人を見かけます。先日は、信じられない事態に遭遇しました。となりの席に座ったじいさんが、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、その脱いだ靴下を、あろうことか机の上に置いたんです。 ウソだろ! おまえのうちのリビングじゃねえんだぞ、みんなが使う机だし、周囲に他人もいるのに、じじい、ふざけんな、と口には出さないものの、心の中では怒り爆発。 そのじいさんは、よく見かける常連さんでもあるし、あまりキツいことはいいたくないんだけど、社会人として、オトナとして、これはさすがに見過ごすわけにいかんでしょ。最大限配慮して、怒りを押し殺した冷静なトーンでいいました。「すいません、机の上に脱いだ靴下置くって、いくらなんでも非常識じゃないですか」。するとじいさん、なにもいわずに荷物をまとめてどこかへ行ってしまいました。 私はけっこうよく怒ります。怒ったとしても、てめえこのやろ! みたいな怒りかたはしませんよ。知らない相手にでも注意しますが、あくまでていねいな口調でです。でも怒りがこもってますから、ときには少々声を荒らげることもなくはないですが。 ごく普通に生きて街を歩いているだけでも、怒りたくなる出来事や人間にはたくさん遭遇します。図書館の中でケータイ使ってデカい声で仕事の話してるおっさんがいます。電話するなら外に行ってやってもらえませんか、と注意します。おもてでは、リードをつけずに犬の散歩してるやつがいます。散歩するときはリードをつけなさい、と叱ります。バス停に並ぶ人の中に、前の人から2メートルくらいあいだを開けて立つやつがいるんです。並んでるのか、たたずんでるのか、わからない。もうちょっと詰めて並んでくれませんか、と注意します。 で、本屋に行くと、「怒らない方法」「怒りをなくしてストレスなくす」みたいな本が並んでて、それが売れてるってんだから、これがなにより腹が立つ。 怒りだって悲しみだって、笑いと同じくらい自然で大切な感情です。それをなくせとか怒るなとかいうほうが、人間性を否定する不自然なことですよ。 怒りをムリに抑えたり、見ないふりしても、ストレスはなくなりません。怒りはその場で放出しないかぎり、ずっと蓄積されていきます。しかも、あなたが怒りを抑えたって怒りの原因がなくなるわけじゃない。 その場で怒る、注意するというのが大事です。ネットで怒るのは無意味です。あとでブログや掲示板やツイッターで怒りをぶちまけたって、なにひとつ状況は変わりません。たとえば、図書館でじいさんが机に靴下置いたのを、私が怒りを抑え、なにもいわずに我慢したとしましょう。じいさんは、後日また同じことをやるでしょう。そしてそれを目撃するたびに、私の心の中の怒りはどんどん大きくなっていきます。じかに相手に注意しないかぎり、なにも解決しないのです。 怒れない人に共通する心理があります。じつは相手になにか事情があるんじゃないか、自分のほうがまちがって怒ってるんじゃないかという遠慮。怒ってシカトされたときの屈辱。相手に殴られるかもしれないという恐怖。 もし自分が誤解して怒ってたことがわかったら、謝ればいいだけのこと。シカトされてもいいんです。じつは相手は公衆の面前で注意されたことで、ダメージを受けているのです。ダメージを受けたことを隠すために、虚勢を張ってシカトするんです。シカトされると注意したほうが負けたように思えるかもしれませんけど、実際は逆。だからシカトされても、決して深追いしてはいけません。それこそもめごとになりかねません。 怒って注意すると殴られるかも? 新聞でもそういう事件が報じられてたぞ、とおびえる人がいますけど、それこそメディアリテラシー的にまちがった読みかたです。だって、相手を注意して何事もなかったときはニュースにならないんですから。殴られるケースはごくわずかです。私の経験上、圧倒的に多いのはシカトです。 ただ、くれぐれもいっておきますが、危ないと思ったら逃げること。あるいは、周囲に助けを求めること。弱いくせにプライドが高い人にかぎって、逃げたり助けを求めたりするのを屈辱だと考えてしまうんです。そもそも、一目でヤクザとわかるような人には注意しないことですよ。それくらいの分別は最低限持っててくださいね、オトナなんだから。 最近の脱稿と原発(2011.5.29更新)こんにちは。パオロ・マッツァリーノです。先日、東京で地下鉄に乗っていたときのこと。ある駅で白人男性二人組が乗ってきました。そのうちのひとりが着ていた白いトレーナーの胸には、「神の怒り」という赤い日本語の文字が。当人たちは、なんかの布教活動をまじめにやってたのかもしれないけど、そのファッションでここまで普通に町を歩いてきたのかと想像すると、なんだかおかしくて、ときおりチラ見しては笑いをかみ殺していました。なにが神の怒りなんでしょうね? 地震? 津波? 放射能? そういえばどこかの都知事も似たような妄言を吐いてましたなあ。天罰だとかなんとか。 もし、今回の災害で命を落とした人たちが全員、オレオレ詐欺犯や、産業廃棄物を違法投棄してる業者や、ベンツ乗ってるくせに給食費払わない親だったりしたなら、なるほど神の怒りだ、天罰だと私も納得しますよ。でも現実はちがう。命を落としたのは、ごく普通の人たちやこどもたちです。災害を神の怒りだの天罰だのということ自体が、もっとも死者を侮辱する行為です。 この世に天罰なんてものは存在しないのだと、何百年何千年も前に、人類の祖先が気づきました。だから法律と刑罰の体系を作りあげてきたんです。いまの時代に災害を天罰なんて考える人は、原始人と同程度の知性しかないんです。 私は今回の地震で直接の被害は受けなかったのですが、調べものに使っている図書館が一部休館したり、書庫の被害で資料が見られなかったりと、仕事上で二次的な被害を受けました。まあ、被害なんておおげさなものではありません。不便、くらいですか。 なんとか工夫して乗り切りまして、予定よりだいぶ遅れましたが、先日、単行本の原稿を脱稿しました。まだ発売日などは未定ですが、決まり次第お知らせしますので、いましばらくお待ち下さい。今回もあんなネタ、こんなネタ、ググっただけではわからないおもしろネタ満載でお届けしますので、ご期待ください。 先月の当サイトでは新作落語の『脱・息子』なんてのをアップしましたが、お楽しみいただけたでしょうか。まだのかたはこちらから。 私もおおかたの人たちと同じく、これまで原発にはたいした疑問も抱かずその恩恵に浴してきました。その意味では、私も偽善者だと認めます。しかし、さまざまなメディアから入ってくる原発の情報を知れば知るほど、そのあまりのお粗末さに嫌気がさしてきました。もう正直なところ、落語としか思えません。落語といっても東京の人が好む人情噺ではなく、シュールでブラックなネタが多い上方落語みたいな感じ。 原発は安全だと以前からいってたお笑いタレントが、原発事故が起きたらまっ先に妻子を東京から避難させたなんて話からして、まるっきり落語のネタですよ。ていうか、原発反対を表明した芸能人はテレビから干されるってのはホントなんでしょうか。これまで毒舌や辛口をウリにしてきた芸人たちも腰がひけてるところを見ると、ホントなのかもしれません。こんなイジリ甲斐のある原発ネタを笑いにする度胸もないなんて、情けないねえ。いま一番骨のある芸人は、山本太郎さんです。あ、芸人じゃないか。 そもそも、安全だと主張してきた原発関連の大学教授たちが、なぜまっ先に現場に駆けつけて作業を手伝わないのですか。日本で一番詳しい人たちが、防護服着て原発の修理にたずさわるのが、もっとも安全確実ななやりかたなのにねえ。 原発関連のテレビ番組で一番のヒットだったのは、NHKBSで放送されたフランスのテレビドキュメンタリー『終わらない悪夢』。使用済み核燃料リサイクルを請け負っているフランスのアレバ社は、使用済み核燃料を96%リサイクルできるといってます。日本でも原子力は再利用可能なエネルギーだからエコだ、とさんざんいわれてきました。ところがそれは理論上の数値でしかなく、アレバ社が実際に再利用できてるのはたった10%だというんです。残りはどうするかというと、コンテナに密閉して、シベリアの奥地に運ばれ、野ざらしのまま保管されているんです。 あれ? これまで聞いてた話とずいぶんちがいますね。フランス随一の核処理技術を持つ企業でさえ、この程度なんです。10%ってのはいくらなんでも少なすぎないかと疑いましたが、アレバ社自身が提出した資料に基づいているようだし、これ2009年のドキュメンタリーです。もしアレバ側が内容に反論して法的措置をとっていれば、いま放送できるわけがないので、事実と見るべきなんでしょう。 で、番組では最後にフランスの原子力庁長官にインタビューをしています。長官はこう答えます。「放射性廃棄物の処理で一番重要なのは『信頼』です。政治家と科学者を信頼しないと、なにもはじまりませんよ」。 おあとがよろしいようで。落語家でもこのオチは想像できなかったことでしょう。でもこれ、落語じゃないんだよなあ。おそろしいことにドキュメンタリーなんです。 私個人としては、次世代エネルギーの開発と普及(太陽光・太陽熱・地熱・風力・波力など)に本気で取り組むのなら、それまでのつなぎとしての原発使用には賛成という立場です。 太陽光とかの自然エネルギーにもデメリットがある、だとか、そんなのは必要エネルギー全体の12パーセントくらいにしかならない、とかいって牽制する政治家や科学者の声を聞くたびに、呆れてしまいます。 最初からできないと決めつけてたら、いつまでたってもできるわけがない。デメリットがなにか、すでにわかっているんだから、それをひとつひとつ解決していくのが政治じゃないですか。技術的な壁を乗り越えて、12パーを20パーに、30パーにしていくのが、イノベーション(技術革新)じゃないですか。 そういう技術革新は一朝一夕にはできません。たとえば電気自動車だって、30年くらい前から開発を続けてきて、いまようやく花開こうとしてるんです。次世代エネルギーの改良も同じこと。いまはじめても遅すぎるくらいです。原発だって、耐用年数は30年ぐらいなんだから、これから新たに原発作ったり改良したりするくらいなら、その費用・研究開発費を他のエネルギー開発にぶっこんだほうが、絶対トクな賭けですよ。みんなが本気になって技術開発を応援すれば、30年後に原発全廃も可能だというほうに、私は賭けますね。 偽善はだれかを救う(2011.3.24更新)愛は地球を救わないかもしれないけど、偽善はだれかを救ってます。オトナになるということは、おそれずに偽善をできるようになることです。 これはいずれも、拙著『13歳からの反社会学』に書いたことです。震災の義援金を出すとき、偽善だけどね、なんて照れ隠しにいってる人がいますけど、恥ずかしがることなどありません。いいんですよ、たとえ10円だって100円だって堂々とやれば。私だってたいした額は出してません。コンビニで買い物するたびに、おつりを募金箱にポポポポ−ンと入れてくるだけだから、せいぜい数千円ってところでしょうか。まあ、しばらく続けるつもりですけど。 偽善を毛嫌いし、偽善という言葉で他人の行為をあざけることで、自分が無頼漢にでもなったつもりでいるお子様な連中が、世の中にはなんと多いことか。 じゃあ彼らの想定する、偽善でない完璧な善、最高善、理想善とはどういうものをいうんでしょうかね? 頭の中で想像するだけなら可能かもしれませんが、いまだかつてそれを体現できた人はいないんです。なぜなら、完璧な善など現実の世には存在しないから。世にある善はすべて偽善なのだから。 いま、完璧な善をなすとしたら、私財をなげうって救援物資を買い込み、被災地にボランティアに行くことでしょうか。でもそれができる人なんて日本に何人いるんです? 義援金を出したからといって、すべての被災者が救われるわけじゃない? だからそんなのは偽善だ? でもいまできることがその偽善だけだとしたら、それをやるのがベストの選択ではないですか。 偽善者になるのはイヤだからとなにもしないのは、偽善以下。偽善が仮に30点の善ならば、なにもしないのは0点です。なにもしない人間が偽善者を笑うのは、0点の人間が30点の人間を笑うようなものです。 なに? 何年もひきこもってるので、募金する収入も貯金もない? オーケー、全然オーケー。そういう人でもなんかしら協力する方法はありますよ。偽善はだれにでもできるんです。 ところで先日、図書館で、関東大震災のときの朝日新聞復刻版を見てきました。地震の翌日、大正12年9月2日から11日までは、新聞の発行が停止したので大阪朝日新聞が代わりに収録されてました。 その大阪朝日の紙面には連日、義金というコーナーがありました。新聞社の呼びかけに応えて義援金を出した人の氏名が、多い日には1面分、2面分を埋めつくすほどびっしり並んでいるんです。90年近く前の人たちだって、立派に偽善をしてたじゃないですか。もっと豊かになって人口も多い現代人がやれない理由がありません。 そもそも、原発が最大の偽善であることが、今回はっきりしてしまいました。リスクは地元に押しつけて、電気という果実だけを都会の人間が食らうシステム。安全安全と科学者はいうけれど、いざ事故が起きたら、現場で危険な復旧作業をやるのはその科学者たちでなく、電力会社の社員や消防士や自衛官。これを偽善といわずしてなんという。 でもわれわれはその偽善がないと、にっちもさっちもいかなくなることを痛感させられたのも事実です。要するに、だれも偽善からは逃れられないのです。だから偽善を排除するのでなく、みんなが偽善者であることを自覚して、偽善の点数を少しでも高くすることを目指すしかないんです。 それと、被災地以外の人たちが、ムリに日常生活や経済活動を自粛するのも考えものです。とくに西日本のみなさんは、こんなときだからこそ、普通に経済活動、消費活動を続けてもらわないと。贅沢するのが気がひけて、なんとなく消費を控えてしまう気持ちはわかりますが、それで日本全体の景気が悪くなるのもマズい。酒飲もうが、パチンコやろうが、テレビゲームやろうが、全然かまわないんです。そのついでに募金もすれば、景気も支えて人助けもできるってもんです。 ただ、関東地域は電力が逼迫してますから、少なくとも、電力消費がピークになる午後6時から7時のあいだは電気を使う娯楽は控える、くらいの配慮は必要です。ガソリンと電気を使わず、カネを使うこと。もしかしたらこれが、被災地以外の人がいまできる最高善なのかもしれません。 だとしたら、6時から7時まで家にいる人は、テレビもパソコンもエアコンも消して、厚着して読書するってのはどうですか。読書なら明かりだけあればできます。消極的ではあるけれど、これなら、募金する収入も貯金もない人でも協力できますし。 みんなが省エネに取り組んだおかげで、関東全域の大停電をなんとかまぬがれているのが現状です。とりあえずいまの時期、このくらいはやればできるってことがわかったのは朗報だけど、夏場にどうなるか、考えるだけでオソロシい。 以前から私は、エコは偽善だからこそ、やる価値があると考えて支持してきたもので、一部の人たちからだいぶ嫌われたりもしましたけど、いまの状況は、みんなののどもとに刃を突きつけられてるようなものです。エコは偽善だからやらない、のでなく、偽善だからこそやる価値がある、と考えかたを根本から変えないと(パラダイムシフトってやつ? ちがうの?)、文明を維持できませんよ。 関東大震災後の新聞に「最文明の交通機関」というひとこまマンガが載ってました。背広の紳士も、頭にハチマキしめたオヤジも、みんなでおんぼろの乗合馬車に乗ってる絵。当時はそういう光景があちこちで見られたのでしょうね。さすがにいまそれには戻れません。 (2011.3.14追記)私は地震発生時、JR千葉駅近くにいましたが、とくに被害は受けず、無事でした。千葉駅東口周辺では、少なくとも私が当日目にした範囲では、建物の大きな崩落などはなかったもようです。 毎日同じ時間に電車に乗って会社に行き、同じカフェでコーヒーを飲み、同じ時間にメシを食って同じ時間に風呂に入る。そんなあたりまえの都会の日常が、じつは複雑な奇蹟で成り立っているってことに、それができなくなってようやく気づくんです。首都圏で暮らすわれわれにいまできるのが、不便を少しわかちあうことだけだとしたら、グチをいわずにやろうじゃないか。 一人でも多くのかたが無事であることを祈ります。 最近のケータイと中東とクジラと黒田(2011.2.28更新)こんにちは。フィリピンに逃亡もしてないし、八百長もしてないし、反政府デモにも参加していない、相変わらずのパオロ・マッツァリーノです。自分の身辺にはなんの変化もないんですけど、世の中はよくもまあ毎日毎日次から次へといろんなことが起きるもんだと感心しきりです。つい先日も大学入試問題が試験中にケータイからネットに漏れたんだとか? だから私は4年も前に『つっこみ力』で提案したじゃないですか。ケータイ会社同士で話し合って、特定の信号を受信すると強制的にケータイの電源がオフになるような仕組みを搭載すればいい、って。 そうすれば、その信号の発信機を映画館や劇場、試験会場などに取り付けるだけで、その場のすべてのケータイをオフにできるんです。いちいちケータイの持ち込みをチェックする必要がなくなります。妨害電波を発する機械ならいまでもありますが、その方式だと広範囲に行き渡らせるには、かなり強い出力でつねに発信し続けないといけません。なんかべつの機械への影響がありそうな気がします(心臓ペースメーカーとか)。ケータイ強制オフ信号方式なら、間欠的に信号を出してればいい。それに妨害電波では、ケータイに記憶させた画像やデータをこっそり見るカンニングまでは防げません。やはり強制オフが便利で確実。 その機能を搭載したケータイが普及するまでは効果ないじゃないかというかもしれませんけど、数年でケータイ買い替える人はかなり多いのだから、いますぐはじめれば、数年後にはかなりの効果を発揮できます。それとも、受験生のボディチェックを徹底するといったセクハラまがいの方法を永久に続けます? それよりは、よっぽどましだと思いますよ。あ、孫さんのツイッターに投稿すると、なんでもやりましょう、っていってくれるんだっけ? でも私はツイッターやってないんで、だれか教えてあげてください。 あとはそう、中東の動乱ね。日本の首相が毎年変わるのは恥だ、なんてこれまでいわれてきましたけど、独裁者が40年も居座ってたり、何代も世襲を続けてたりする国からすれば、毎年首相が変わる日本は、とても民主的で先進的な国家です。暴力革命を起こさなくても、血を流さずとも、首相が毎年変わる政治形態こそが、クールジャパン。いっそのこと、首相の任期は1年と法律で決めちゃえばいいのに。そのほうが短い任期内にがんがん改革を進めなきゃ、って気になりますよ。じっくり取り組まねばできないこともある、なんてもっともらしいこという政治家もいますけど、それウソですよ。現実には、だらだら検討して結局やらない、ってケースが多いんですから。 日本は、中東の騒動を喜んでばかりはいられません。いままで独裁者や王様たちにおべっかつかって石油を売ってもらってたわけで、政治体制が変わって「独裁者に味方してた日本には石油売らない」とかいわれたらどうします? 考えられないことじゃありません。中国と漁船でもめたとき、日本にレアアース売らないとかいい出したじゃないですか。 どうやら日本はよりいっそう、エコに邁進しなきゃならないようですねえ。いまだにエコはウソだとか偽善だとか利権だとかケチつけて正義の味方ヅラしてる危機感ゼロの科学者や科学ライターがいますけど、そのかたがたは、どうするおつもりでしょう。原発推進? なるほど。日本はウランの3割をオーストラリアから輸入しています。あのシーシェパードを応援してるオーストラリアからですよ! 「クジラ獲る日本には、ウラン売らない」ってなったらどうします? シーシェパードをエコテロリストとかいうのもやめてほしいですね。あれは単なるテロリスト。エコとはなんの関係もありません。マジメにエコや環境保護に取り組んでる人たちこそ、あんな暴力集団と一緒にされたらいい迷惑です。ウィキリークスは、ああいう連中の実態や支援者のリストを公開すればいいのに。 でもね、私は食文化としての捕鯨は支持しますけど、経済面からは支持できません。捕鯨を支持する日本のみなさんは、普段どれだけクジラ肉を食べてます? 何年も食べてないって人のほうが多いでしょ。私も2年くらい前に食べたきりです。自分から率先して食べて需要を生み出さない人間が、捕鯨をやらせろって訴えても、説得力はゼロですよ。捕鯨を続けたいのなら、もっとクジラを食べないと。 やれやれ、あんまりニュースばかり見ないほうがいいですね。世の中がだんだんイヤになってきますから。やっぱりテレビはバラエティーとかドラマとか、娯楽中心に見ましょう。 いまやってるドラマだと、『外交官・黒田康作』がおもしろい。なんか視聴率悪いらしいですけど、なんでかな。ちゃらちゃらした主題歌とかもないし、いまどき珍しい骨太なミステリーですけどね。毎回見せ場もあるし、謎がじょじょに解きほぐされていくペース配分もうまいから飽きません。全体のプロットがしっかりしてるだけに、話の途中から入りづらいのが、視聴率が伸び悩む原因かもしれません。シリアスな展開に慣れてたもので、女刑事とおでん食べにいって何が好きですかと聞かれた黒田が「ちくわぶ」と答えるシーンでふいをつかれて笑っちゃいました。 VERYの連載が終了して、また悩む(2011.1.31更新)こんにちは。きれいなお姉さんが好きなパオロ・マッツァリーノです。さほどきれいでないお姉さんも大好きです。きれいな奥様がお読みになってる雑誌VERYに2年間連載してきた「悩めるお母さんのためのおいしい読書案内」が、3月号で終了することになりました。VERYの読者層は、どうみてもグルメとファッションの本くらいしか興味がなさそうなのに、私はおかまいなしに社会や文化関係の本、しかも数年前に出たものばかり取りあげてきました。よくもまあ2年間も続けさせてくれたものです。ちなみに、取りあげた本の一覧はこちら。 『地球温暖化の予測は「正しい」か?』江守正多 『住宅購入学入門 いま、何を買わないか』長嶋修 『図説 江戸の学び』市川寛明・石山秀和 『日本のお金持ち研究』橘木俊詔・森剛志 『怒る技術』中島義道 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』金水敏 『お葬式をどうするか』ひろさちや 『遅刻の誕生』橋本毅彦・栗山茂久 『実は悲惨な公務員』山本直治 『モダンガール論』斎藤美奈子 『読みにくい名前はなぜ増えたか』佐藤稔 『のらネコ、町をゆく』野澤延行 『倫理問題101問』マーティン・コーエン 『マネー・ボール』マイケル・ルイス 『豚のPちゃんと32人の小学生』黒田恭史 『『西遊記』XYZ』中野美代子 『行動経済学』友野典男 『志ん朝の落語4 粗忽奇天烈』 『演劇入門』平田オリザ 『バナナの皮はなぜすべるのか?』黒木夏美 『世界名言大辞典』梶山健 『超高層ビビル 日本編』中谷幸司 『日本の「食」は安すぎる』山本謙治 『バットマンになる!』E・ポール・ゼーア こう並べてみると、ファッション誌では取りあげないような本ばかりって感もありますけど、本のチョイスもすべて任されてましたので、すべて私が、おもしろいな、使えるな、なるほどな、となにかしら感心したものから選んでます。アホか、と思うような本をわざわざネタにしてこきおろすような下品なマネはしたくないので。 立ち食いそば屋兼古本屋を営むパオロのところに、ご近所の主婦が毎回、疑問やお悩みを持ち込みます。それを解決するための本を紹介するという設定で、読みやすくおもしろい独創的なブックガイドに仕上げたつもりなのですが、主婦の読者にはどれだけ伝わったものやら。 いちおう、書籍化のオファーも来ていて承諾したのですが、分量的にまだ大幅に足りないので、どうしたものか思案中です。べつの書き下ろし本の執筆がたまってるので、残りを一気に書き下ろすのはつらい。月一で連載を続けられればベストでしょうけど、残りの連載を引き受けてくれる媒体があるかどうか。もし、ご関心のある編集者のかたがいらっしゃれば、ご相談させていただきたいので、よろしくお願いします。 なお、ドラマ化・アニメ化・劇場版・舞台化などのオファーもあれば、そちらも前向きに検討します。8時54分、9時54分からの5分番組なんかにぴったりだと思うんですけど、いかが? ちなみに私はコント風のものを書くときは、具体的な人をイメージしないとやりづらいので、勝手に役者をあててます。今回の連載では、パオロ役には内野聖陽さん(つけっ鼻と髭着用)、近所の主婦役に菊池桃子さんを想定して書いてました。 そういえば『コドモダマシ』のときは、お父さん役に香川照之さん、お母さん役に羽田美智子さん、おじいちゃん役には仲代達矢さんを考えてました。絶対実現しそうにないキャストですけどね。 2010年のよかったものと来年の抱負(2010.12.23更新)こんにちは、小説を書いてベストセラーを狙うつもりですが、ペンネームで迷っているパオロ・マッツァリーノです。水嶋パオロか、柳家アサンジのどちらかで、直木賞に応募します!(ムリ)2010年のよかったもの 『心の糸』(テレビドラマ・NHK) 「オレはNHK見ないから受信料は払わない」と、しょうもないケチ自慢をしてる人がいます。まあ、もっぱらエロDVDしか見ないって人なら、NHKに価値を見出すのは困難でしょう。私は、WOWOWとNHKは金払ってみる価値があると思ってます。『ブラタモリ』なんて、NHKの威光があるから、いろんなところの撮影許可がおりてるんでしょう。 『ブラタモリ』もおすすめですが、私の一押しは、年末に放送された単発ドラマ『心の糸』。女手ひとつで息子を育ててきた勝ち気な聾の母。母の期待を背負いピアニストを目指すも、自分の才能の限界に悩む息子。親子だからこそ、他人同士なら口にしないとがった言葉を投げつけてしまうんだよなあ。息子の気持ちもわかるけど、それ以上に、理想と現実のはざまで苦しみながら生きてきた母親の気持ちがわかるから、見ているこっちの胸も痛い。連ドラが始まると朝から晩まで番宣一色になる民放も過剰だけど、こんな秀作をたいした宣伝もせずにひっそりと放送してしまうNHKもどうなのよ。 『マイレージ・マイライフ』(アメリカ映画) 会社に代わって社員に解雇をいい渡すなんて職業が、アメリカにはあるんですね。クビにされた社員が腹いせに銃を乱射したなんて話も珍しくないアメリカでは、上手にクビを宣告する技術・話術もカネになるわけか。題材は悲劇だけど、映画自体は粋なオトナのためのコメディです。ほろ苦いのに、こころあたたまる結末のおかげで、気分よく映画館をあとにできました。 「コンフォートドライ」(靴の中敷き・R&D) 歩きかたのクセなのか、靴のせいなのか、長時間歩くと両足の親指の付け根が痛くなることに、長年悩まされてきました。それが靴の中敷きをこれに変えただけでウソのように痛みが消え……なんて書くと、怪しげな開運グッズ通販の広告みたいですが、ホントなんだってば。足の裏にアーチを作る構造が効くようです。もし私と同じ症状に悩んでいるかたがいたら、試してみる価値はあります。 山中千尋『ランニングワイルド』(ジャズCD) アイドルのような顔立ちにダマされてはいけません。山中千尋は微笑んではくれません。彼女のピアノは企みに満ちています。最新作のピアノトリオもよかったけど、珍しく大人数でわいわいやってる楽しさと、アレンジャーとしての手腕を買って、この盤を推します。 黒木夏美『バナナの皮はなぜすべるのか?』(書籍) 文化史や社会史が好きな私にとって、思想家が語る文化論や社会論はゴミ同然。なぜなら思想家には、本を書くときに新たになにかを徹底的に調べる作業をはしょる人が多いから。具体的な資料もデータも集めずに、抽象的な教養と思考で穴埋めできるとでも思ってるの? それで社会の構造が明らかになったといい張るの? そんなのは手抜き仕事っていうんです。 手抜き思想家のみなさんは、この本を読んで猛省していただきたい。バナナの皮というちっぽけなテーマを語るだけなのに、文献調査に5年くらいの歳月を費やしてるんですよ、この著者は。これぞ文化史調査のお手本。 * というわけで今年もいろいろありました。マスコミのみなさんは、水嶋さんの印税が1億だのとゲスな記事で盛り上がってますが、本の印税がそんな一気に入ったら、ほとんどが税金でもってかれちゃうことくらい、わかりそうなもんですけどね。 幸か不幸か、私はそんな目に遭うほど売れたことはありません。本を出すたび、なんとかそこそこ売れます。たくさんは売れません。飢え死にもしないけど、贅沢もできません。中途半端です。けど、自分が書きたいものを書かせてくれて売り出してくれる版元があるだけでも、物書きとしては恵まれてるのかもしれません。 いいじゃないの、中途半端で。昨今の大卒就職難の話を聞くと、みんな完璧な人生を追い求めすぎてる気がします。一流企業に就職できないからわざと留年するとかさ。中途半端な中小企業に就職しちゃったら、そこで人生終わりだとでも? 私は本を出すたびに、これは絶対ベストセラーになるな、と自負してます。結果的にならないけどね。でも毎回そのつもりで書いてます。結果は中途半端だけど、打席に立つからには、ホームラン狙います。来年も、中途半端、上等! キャンペーン応募御礼と勝海舟と流出(2010.12.2更新)こんにちは。道端三姉妹は路上生活してる人たちだと思っていたパオロ・マッツァリーノです。なお、ジャルジャルのふたりは兄弟だと本気でまちがえてました。ご存じかとは思いますが、『13歳からの反社会学』発売記念キャンペーンとして、中学・高校の図書室にプレゼントする企画をやりました。10月末に締めきりまして、当選者の指定した学校に発送されたとのことですので、遅ればせながら、ご報告致します。応募してくれたみなさんに感謝、そして当選した学校の生徒諸君、みんなで読んでね! 最初この企画をやりたいと相談したら、角川の営業から反対されたんです。なんのためにそんなことをやるのか、学校図書室に寄贈したって販促にはつながらない、これまでそんな企画をやったことがないから応募もないかもしれない、と。 ええ〜! なんて志の低いことをいうのでしょう。これまでやったことがないから、やってみる価値があるんじゃないですか。仮に応募がなくたって、こちらはまったく損しないでしょ? そう説得したところ、やってみなはれ、ってことになったわけです。角川の営業さん、ありがとう。たいして告知もしなかったけどそこそこ応募もあって、私としてはうれしいかぎりです。 そりゃたしかに即効性のある販促ではないけれど、私の本を読んでくれた中高生が将来、私の本を買ってくれるかもしれないじゃない。それまで私はおもしろい本を書き続けますよ。それが志ってものですから。 その『13歳……』の中で、地見屋という、道に落ちてる金目のものを拾って暮らす人たちの歴史について取りあげてまして、地見屋という名称は明治時代から一般化した、と書いてます。 しかし、勝海舟が、江戸時代から地見屋はいたと『氷川清話』で証言しているとする説があるんです。これは尾佐竹猛が『下等百科辞典』で書いていることで、もちろん私もそのことは、参考文献として使ったので知ってます。 じゃあなぜそれを私は採用しなかったのか? 『氷川清話』を読んでも、その地見屋のくだりが出てこなかったから。『氷川清話』にはいくつかエディションがあるのですが、私が目を通した数冊には、どれも載ってませんでした。尾佐竹がどの版を見て書いたのかもはっきりしません(尾佐竹は『氷川茶話』と誤記してるのも不安材料)。 ここで問題になるのは、地見屋という呼び名がいつからあったか、です。ものを拾って暮らす人たちが江戸時代からいたことは、明らかな事実なので。『氷川清話』は勝が明治になってから書いた(語った)回顧録みたいなものなので、勝自身が、地見屋という名称が昔からあったと思い込んでた可能性も否めません。 もちろん単なる私の見落としかもしれません。もし、勝海舟マニアのかたで、地見屋のくだりをご存じのかたがいましたら、何年発行の『氷川清話』の何ページあたりに出てくるか、教えていただけたらさいわいです。 毎年恒例、どこでも流行してない、だれも口にしていない流行語大賞が、今年も発表されました。ゲゲゲの女房が流行語大賞って……。毎年春先に発表される、今年の新入社員は○○型、って幼稚なお遊びもそうですが、選者、審査員の中高年が、まったく現実の世相をつかんでないっていう、哀しい事実だけが浮き彫りになります。 そうかと思えばネットの世界では、流出がブーム。でもこちらも大騒ぎしてるわりには、的はずれ感ばかりが漂ってます。流出したことでなんか世界がよくなったのか、しあわせな人が増えたのか、というと……? 要するに、流出なんてじつはだれも望んでないんです。知りたい知りたいとせがんでおきながら、知れば知ったですぐに興味をなくしちゃうわけですしね。流出させてる側が気負ってるほどには世間のニーズはないのに、流出させたいほうだけがしゃかりきになって流出させてる、このズレ感。 って、これ、露出狂と一緒ですよね。だれも見たいといってないのに、自分の局部を見せてまわりエクスタシーを感じる人が露出症という病気なら、興味のない情報を流出させて喜んでる人は、流出狂とか流出症という、ネット時代の新たな病気なんじゃないですか。 ということで、私は痔が痛むのでこのへんで失礼します(←ニーズのない情報の流出)。 『13歳からの反社会学』の反響と牛とエロライス(2010.11.1更新)こんにちは。日本一前向きな偽善者、パオロ・マッツァリーノです。数か月ぶりに以前のインフォシークのアドレスにアクセスしたかたは、えっ、反社会学講座閉鎖か? と驚いたり、目の上のたんこぶが消えたと祝杯をあげたりしたかもしれません。いまこれをごらんになってるということは、無事新アドレスにたどりついたということですね。いちおう経緯を説明しますと、インフォシークの無料ホームページサービスが終了したため、いまご覧のFC2無料ページに移転したというだけです。 内容はこれまでとまったく同じ――というのも芸がないので、若干、リニューアルしてみました。気づかない? ですよね。じつは、過去の著作の立ち読みができるようになりました。 『つっこみ力』『コドモダマシ』『日本列島プチ改造論』、そして最新刊『13歳からの反社会学』の冒頭数ページを立ち読みできます。それぞれの本の表紙画像の横にある[立ち読み]ってところをクリックしてみてください。リアルな立ち読み気分が味わえます。ギリギリ読める解像度だと思いますが、読みづらかったら、もうしわけないけど、ブラウザや画像ソフトなどの拡大機能でも使ってみてください。 一応おことわりしておきますが、画像の再配布や再掲載はしないでくださいね。それと、書店の店頭で、本や雑誌の中身を写メ撮ったりするのもやめましょう。 『13歳からの反社会学』、おかげさまで地道に売れて増刷もできました。ジュンク堂吉祥寺店様、読売新聞「本屋さんのおすすめ」で大々的に取りあげていただきまして、ありがとうございます。そういえば『コドモダマシ』を出したときは、同じコーナーでリブロ吉祥寺店のかたに取りあげていただいたのでした。なんだろう、私は西東京地区で人気があるのか? 吉祥寺界隈のみなさん、今後ともごひいきに。そのうち市長に立候補しますので(ウソ)。 その他、小さい書評を載せてくれたメディアのみなさん、そしてなにより、感想やご意見のメールを送ってくれた読者のみなさん、ありがとうございます。いつものように笑いにくるみながらも、今回、意外とキビシいことをいってるんで、反発も多いだろうなと覚悟はしていたのですが、わかってくれてる読者もいるんです。ちょっと安心しました。 甘いことばっかりいってたら、それこそ反社会学の看板倒れですから。近所のガキや電車の中のマナー違反をじかに注意もできないくせに、日本の危機だとかデカい理屈を並べるだけで、世の中の役に立ってるつもりでいる連中こそが、ずるっこい偽善者なんじゃないのかな〜? などと痛いところを突いちゃうから、教養と口先だけで世渡りをしている評論家風情から疎まれるんですよね。 そんななか読者のご指摘により、ひとつ訂正を。152ページに、「四三〇〇件の統計調査」とありますが、正しくは、統計調査を含む調査研究の件数です。 なお、『14歳からの社会学』という宮台さんの本があるのですが、それに対するあてつけやパロディなどの意図、対抗意識は一切ありません。私のほうの企画は何年も前から決まっていたので、書店で『14歳からの社会学』を見つけて、いちばん驚いたのはたぶん私だったと思います。まあ、そもそも宮台さんと私の語り口や内容がかぶることはありえないんで、似てるのはタイトルだけでしょう。本屋でぱらぱらと立ち読みしただけだからわからんけど、宮台さんはオゲレツギャグとか書かないでしょ? 先日は東京の湯島天神を訪ねてみました。やっぱり境内には牛の像が。仏像マニアならぬ、牛像マニア? こうなると、本家本元の太宰府天満宮が気になってきます。どんな牛がいるのだろう。天神といえば梅もつきものですから、梅の花の季節にでも行ってみようかと。 湯島天神をお参りしたあと、本郷三丁目駅までぶらりと散歩した途中で、インド料理屋の前を通りかかりました。おもての看板に、メニューが写真入りで並んでいるのを眺めていたら、「エロライス」で目が釘付けに。写真を見るかぎりでは、ごく普通のサフランライスとしか思えないのですが、食べると淫らな気分になるのでしょうか。カーマスートラの秘法でしょうか。まだ昼時には早かったので、店に入って真相を聞けなかったのが残念です。 夕方、ロフトで偶然、牛の像と出会いました。あまりのすっとぼけたデザインに、思わず購入。本来の用途はメガネ置きだそうです。実用性はともかくとしまして。そのとき、天啓がおりてきたのです。エロライスってもしかして、イエローライス? 牛との出逢いといい、このひらめきといい、天神様のご利益かもしれません。 ダーティーに生きるための教科書(2010.9.30更新)こんにちは。イタリア系ゆるキャラのパオロ・マッツァリーノです。『13歳からの反社会学』、もうお読みいただけたでしょうか。ひさびさの単行本です。私は本ができあがってからもう3回くらい読んじゃいました。原稿やゲラの段階でさんざん読んでるのに、本になったものをパラパラとめくっていると、ついつい読みふけってしまうんです。 まだ読んでないかたは、ぜひ書店でお手にとって、立ち読みしてみてください。頭から尻尾までネタが詰まってます。手抜きや水増しは一切なし、どこを読んでも楽しめると、自信を持っておすすめできます。 いつものように、私はネット上のレビューを読みません。とはいっても、メールや手紙でご意見ご感想ご質問をくだされば、それには必ず目を通しますから、ご心配なく。 ふざけているけど、精魂こめて書いた本です。作品は自分のこども同然です。だから人情として、賛辞を書かれればうれしいですよ。でも、たとえ批判的なレビューを書かれたとしても、私は謝罪も賠償も要求しません。ブログにでもツイッターにでもご自由に感想をお書きください。そうそう、『13歳からの反社会学』では、気分次第でもっともらしいレビューを書く方法までお教えしてますので、ぜひ参考になさってください。 発売記念キャンペーンもやってます。中学・高校の図書室に『13歳からの反社会学』をプレゼントします。嵐の本みたいに全国すべての学校にというわけにはいきません。たったの10冊でもうしわけないのですが、応募詳細はこちらから(キャンペーンは終了しました)。 ハガキでの応募は面倒かもしれませんけど、ネットから自由に応募できる形式だと、イタズラで大量に応募したりする人が現れかねないということで、アナログな方法になりました。私としても本気で中高生に読んでほしいので、応募するかたにもハガキ代を負担していただくことで、応募が本気であるという目安にしたいと思います。ご納得のうえ、応募していただけたらさいわいです。 ときどき、若いかたがたからメールをもらうことがあります。彼らの多くは、似たようなことを訴えるんです。「ぼくは世の中の真実を知りたいんです。なんで世の中の常識はウソばっかりなんですか! どうすればウソを見抜けますか?」 私の本やサイトの内容に、なにかしら訴えかけるものがあったのだな、とわかるのはうれしいのですが、そういうメールをもらうたびに、ちょっと私は憂鬱にもなります。それが『13歳からの反社会学』を書いた理由のひとつでもあったのですが。 なんでウソかホントかのどちらかに決めつけたがるのかな。たしかに世の中にウソや欺瞞はあふれてて、私もそのいくつかを明らかにする手伝いをしてきました。けど、それ以上に楽しい真実もたくさんあるんだけどな。よし、じゃあ、世の中の真実を教えてあげましょう。 北川景子さんはかわいい。なにを突然いい出すのだイロボケ中年、とおっしゃらず、まあ聞いて。もしも、北川さんの歯のすきまに食べかすがいっぱい詰まってたら。歯クソだらけだったら。それは彼女がかわいいという常識を覆す発見かもしれない。でもそれって、「だったら歯クソをとればいいんじゃね?」というだけの話なんですよ。世の中の常識のウソを覆した! なんてのは、じつはせいぜい、美人の歯クソ見つけた! くらいのことでしかないんです。大切なのは、歯クソをどう取るか、のほうなのにね。 知性自慢の秀才は、経済学や社会学、科学や哲学などそれぞれの専門分野の狭い常識に照らし合わせて、世間の常識を覆した! としばしば主張します。しかしその主張のほとんどは、学問理論的には意味があるのかもしれないけど、現実にはどうでもいいことだったりします。学問秀才たちは、ピュアな理屈を並べるだけで尊敬を勝ち得たつもりになってます。世の中を動かしたつもりになってます。でも彼らは、おのれの手を汚して世の中の歯クソを取ろうとまではしないのです。それができてはじめて、一人前のオトナなのに。 実際に、美人の歯クソを取り除こうとしたら、まず交渉や説明といった正当な手段で信頼関係を築かねばなりません。世の中を動かすために必要なのは、理屈でなく、平和的実行力・解決力・人間力なんです。そこをすっとばしていきなり歯クソ取ろうと襲いかかったら、通り魔か暴漢です。 人間同士の交渉は泥臭いものです。拒否されることも普通にあります。ピュアなハートの理論派秀才は、一度拒否されただけですぐに傷つくんです。なんだよ、せっかく真実を教えてやったのに! 世の中バカばっかりだ! と憤る。 こういうときには、むしろダーティーなオトナのほうが強いんです。何度も粘り強く交渉を重ね、ついには歯くそを取り除き、美人をより美しくすることに成功し、世の中の人たちから感謝されます。ひょっとしたらそいつには、なにか下心があるのかもしれません。だけど、あったらどうだというの? 偽善者なの? 世の中を動かすのは、ピュアな秀才の理屈でなく、ダーティーな偽善者の行動だという事実は変わりません。 私は、若き秀才たちに、ピュア&役立たずなオトナになってほしくないんです。だからこそ、『13歳からの反社会学』では、秀才が現実世界と折り合いをつけるための具体案、妥協案をいくつか提示したのです。 ただ、それはピュアな若い人の常識からすると、ダーティーなものに見えるかもしれません。なにしろ私は、偽善者になれ、とかいってるのですから。 ピュアな人は、100パーセントの正義にキズがあるのを見つけると、キタナい、おカネ目当てだ、偽善だ、ウソだ、と叫び、その正義をまるごと投げ捨ててしまうんです。自分の手で、努力でキズを直そうとは考えない。10パーセントの正義を投げ捨ててしまったら、あとに残るのは100パーセントの悪だということに気づかない。ダーティーな偽善が、じつはピュアな悪を押しとどめているというのが、世の中の真実なのに。 まあ、そういうことも書いてますから、なかには『13歳からの反社会学』を読んで憤慨する人もいるでしょう。でも、私がこの本で伝えてるのは、自分が40年くらい生きてきて、肌で学んだ世の中の真実です。ホンネの生きかたです。 いま反感を抱いても、ご自分が40代くらいになれば、私のいったことが理解できるはず。え? いま40代だけどわからない? ある意味、しあわせな人ですね。 あ、北川さん、小きたないたとえに勝手に使ってしまって、ごめんなさい。 新刊『13歳からの反社会学』がついに発売されました!(2010.9.10更新)
こんにちは。暑いのに若いころより発汗量が減って、代謝の衰えを実感しているパオロ・マッツァリーノです。 |